自立の倫理は、自分でつくる

自立ってなんだろう、というのを自分の力で言葉にできるようにはじめました。

わたしがわたしであることについて(1-2)――わたしから他人へ

 傷つくかもしれないが、愛されるかもしれない。これをジュディス・バトラーは「ありうべき受け止めへの関係が生じる場」の分節であるとします[バトラー 2008:213-214]。愛しかない場も、傷しかない場も、その前提にあるのは規範です。愛すべき人を傷つけてはならない、憎むべき人を愛してはならない。世間はそのような規範によって支えられ、その内に死を招き入れます。このブログでは、バートルビーの死や[ドゥルーズ 2002]、赤軍の親の死[柄谷 2003]から、そのことを確認してきました。人と人に、ただ一つの関わり方しかありえないとき、愛による支配と暴力による支配に違いはありません。シモーヌ・ヴェイユの言葉を借りれば、それは世間による「社会的抑圧」[ヴェイユ 2005]です。

 ただしヴェイユは、愛による支配*1は人と人が関わり合う私的生活の領域で均衡が崩れた結果起こるもので、社会的抑圧とは別のものであり、外的な妨害を受けることなく均衡を取り戻すことができると主張しています。けれどもそうすると、なぜ雇用主であるはずの代訴人がバートルビーと関わるなかで良心に支配されてしまったのか、その末になぜ代訴人がバートルビーを事務所から追い出そうとするに至ったのかを説明することができません。代訴人はバートルビーと関わる中でつねに周りのことを気にしていたのであり、雇用主であるにもかかわらず私的生活の領域において均衡を取り戻そうとする一方で(代訴人は「友人」としてバートルビーと関わろうとしていました)、妨害も受けていたからです[メルヴィル 2015]。問題なのは、いまわたしたちが生きている世界では私的生活の領域さえも妨害をつねに受けてしまうということなのです*2。そこで重要なのが、バトラーのいう「ありうべき受け止めへの関係が生じる場」の分節です。バトラーは、自分がどのように受け止められるかということよりも、自分が受け止められる場が存在することの方が重要だと主張しています[バトラー 2008:213-214]。自分が拒絶されるのか、誤解されるのか、抱き止められるのか、それはわからないが、しかし人と関わるとはそういうことではないか、というのです。

 前のエントリーでは、それは確かにその通りだけれど、傷つかないですむならその方がいいのではないか、ということについて、大江健三郎の短編小説「セブンティーン」[大江 1968]から考えました。17歳の誕生日を迎える主人公の少年は、家庭にも学校にも居場所がなく、自涜によって孤独を紛らわせています*3。セブンティーンは、自分に居場所が無いのは、自分が「奇怪で矛盾だらけで支離滅裂で複雑で猥雑ではみだしている」[大江 1968:214]からだと思い込み、ある偏った思想に傾倒していきます。その思想に忠誠を誓うことで自分の複雑さから解き放たれたセブンティーンは、やがて暴力に支配されていきます。

 関わり方が分節できないこと、つまり、傷つくことを恐れ、愛のみを求めることや、複雑であるがゆえに傷ついてしまう自分を否定してしまうことが、世間による抑圧を支えています。大切なのは、セブンティーンが否定してしまった自分の複雑さです。この複雑さこそが、関わり方を分節することができるのです。

 たとえばロラン・バルトは、失恋によって負った傷を人に伝えようとします。

 自らこの身を罰するとしよう。われとわが肉体を痛めつけよう。髪をおもい切り短く刈る。黒い眼鏡で視線を隠す(僧院に入るのと同じだ)。地味で抽象的な学問研究に没頭する。僧侶のように早く起き出し、暗いうちから仕事をしよう。精一杯辛抱強く、いささかもの悲し気に、要は苦悩の人に似つかわしい気高さを持とう。(…)苦行(わが身に苦行を課そうとする衝動)は、他者に向けられている。(…)わたしは相手の眼前に、わたし自身の消失というフィギュールをつきつけているのである。もしも譲歩してくれなければ必ず起こることとして(しかし、いったい何を譲れというのか)。[バルト 1980:52-53]

 バルトは、自分の負った傷が相手に伝わらないことを知っていますが、自分を傷つけずにはいられません。相手にしてみれば、髪を刈ることはどうでもよく、「いったい何を譲れというのか」と感じざるを得ないということを、バルトは知っているのです。ただ、伝わらないと知りながらも、相手に伝えようとしなければ、関わり方を分節することはできません。

 伝わらないことを知りつつ伝えようとすることのおもしろさは、最終的には伝わらなくても、それ自体を肯定できるところにあります。

 ときとしてわたしも、いろいろと理屈をならべたてたり、計算をしたりする。それは、なんらかの満足を得るためであったり、急に不機嫌な顔をしてみせることで、このわたしが相手のためにどれほどの努力(譲歩する、隠す、傷つけない、楽しませる、納得させる、など)をむなしく浪費していることか、ひそかにわからせようとするためであったりする。しかしながら、こうした計算は、いずれも、要は焦燥のあらわれなのであって、最後には儲けてやろうなどという想いはみじんもない。[バルト 1980:129]

 バルトはここで、関わり合いのなかで、実は相手を傷つけないようにしていた、ということを告白します。けれども、その努力にかかわらず、相手は傷ついていたかもしれませんし、一緒にいても楽しくなかったかもしれません。「儲けてやろうという想いはみじんもない」努力、それがバルトの告白を支えています。

 バトラーは、自分がどのように受け止められるかということよりも、自分が受け止められる場が存在することの方が重要だとしました。そうした場を、バルトの日記に見出すことができます。

 できごと自体はいたってささやかなものであり、ただただその巨大な反響を通じてのみそこにあるのだ。それはわたしの反響の日記(わたしの傷心の、わたしのよろこびの、わたしの解釈の、わたしの理屈の、わたしの気紛れの日記)なのだ。そこになにかを理解してくれる者がいるだろうか。「他人」だけがわたしについての小説を書くことができるだろう。[バルト 1980:140-141]

 分節の先に、「他人」は突然現れます。だからこそ、「書かれることであまりの陳腐さがあらわになるようなことを」[バルト 1980:140]伝えなければいけないし、伝えてしまうのだと思います。

 

・参照文献

大江健三郎

 1968 『性的人間』新潮社。

柄谷行人

 2003 『倫理21』平凡社

栗原康

 2015 『はたらかないで、たらふくたべたい――生の負債からの解放宣言』タバブックス。

ドゥルーズ、ジル

 2002 『批評と臨床』守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社

ヴェイユシモーヌ

 2005 『自由と社会的抑圧』冨原眞弓訳、岩波書房。

バトラー、ジュディス

 2008 『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』佐藤嘉幸・清水和子訳、月曜者。

バルト、ロラン

 1980 『恋愛のディスクール』三好郁郎訳、みすず書房

メルヴィル、ハーマン

 2015 『バートルビー/漂流舟』牧野有通訳、光文社。

 

*1:たとえば愛が、対象の自己への従属、または自己の対象への従属を求めはじめるや否や、魂の中のあらゆる均衡は破壊される[ヴェイユ 2005:55]。

*2:栗原康さんの『はたかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』[栗原 2015]にも、当時お付き合いをしていた恋人と別れるまでの顛末が書かれていますが、ばっちり私的生活の領域に妨害が入っています。

*3:わたしも17歳のときそんな感じでした。いまもあんまり変わりませんが。

わたしがわたしであることについて(1-1)――セブンティーンが言葉にできなかった世界

 世間の「当たり前」が「わたし」を傷つけ、更生させようとするとき、「わたし」自身がその傷を「生きた証明」[バトラー 2008:124]として捉えなおそうと抵抗すること、それが自立の倫理を自分でつくるということです。傷つくことそのものに価値がある、といいたいわけではありません。傷つくかもしれない未来に怯えないために、傷ついてしまった過去を肯定する必要があるのではないか、ということです。

 けれども、それは簡単なことではないでしょう。異和感が「世間」の攻撃の的[柄谷 2003]であると同時に亀裂[ホロウェイ 2011]を入れるものでもある、ということに気が付くことはできても、どうして「わたし」が傷つかなければいけなかったのか、ということへの答えにはならないからです。「わたし」が傷つかないなら、異和感は尊重するべきではない、できるかぎり「当たり前」を受け入れる方がいい、という傷に対する怯えにどう応えるか、というのが、今回のエントリーの目的です。

 まず、「わたし」の身に起きた過去と向き合うかどうかが重要です。もちろん、「わたし」の身に起きた過去と向き合わずに生きていくこともできるからです。

 これについて、たとえば偽名を使って『T.A.Z.――一時的自律ゾーン』[ベイ 1997]という本を書いた思想家のハキム・ベイは、次のように自分のことについて書いています。

 わたしの立場はこうだ。つまり、わたしは行為を妨げるような「知性」を警戒して止まないのである。わたし自身は知性に溢れている。時にはしかしながら、わたしはどうにかして、あたかも自分の人生を変えようと試みるほど愚かであるかのように振る舞ってきた。時折、宗教やマリファナ、カオス、少年たちとの愛といった危険な麻薬を用いたこともある。ある程度成功を収めたことも少しはある。――わたしはこのことを自慢するためではなく、むしろ証言するために述べているのだ[ベイ 1997:154]。

 「行為を妨げるような『知性』」[ベイ 1997:154]を、ここでは思想家のポール・ヴィリリオが「理性」と呼んだものと重ねてみようと思います[ヴィリリオ 2001]。ヴィリリオは、騎兵が馬に乗って思い通りに動かそうとすることは、馬にとって理性の憑依であるといっています[ヴィリリオ 2001:135]。つまり騎兵は、馬が野生にもどること(自己表現すること)を妨げるために騎乗するのです[ヴィリリオ 2001:133]。

 「自立の倫理を自分でつくる(2-2)」で確認したように、「世間」はその在り様を保つために「わたし」が「わたし」であろうとすること(自己表現をすること)を抑えつけようとします。つまり、どうして「わたし」が傷つかなければならなかったのか、それは「わたし」が「わたし」であろうとした結果なのです。それは「わたし」の野生によるものであり、理由のあるものではありません。理由を説明することができない、しなくてもいい代わりに、どうして「わたし」が「わたし」であろうとしたのか、その過去と向き合うことが大切になってきます。

 このとき、ベイが自分の行いを自慢ではなくて証言だといっているように、宗教やマリファナは理性(騎兵)を振り落とすための手段だったのであって、目的ではなかったことに注意が必要でしょう[ベイ 1997:154]。ベイが過去の自分の愚かさを認めたうえでそれを証言すること、それが「行為を妨げるような『知性』」[ベイ 1997:154]に対する警戒のためだったことは、「生きた証明」[バトラー 2008:124]のひとつのあり方といえるのではないでしょうか。

 それではそれに対して、傷つきながら、それでも「わたし」が「わたし」であることと向き合えないとは、どういうことでしょうか。

 ここでは、作家の大江健三郎さんが書いた「セブンティーン」[大江 1968]を参考にしたいと思います。

 「セブンティーン」は、17歳の誕生日を迎えた一人の少年が主人公です。彼は過剰な自意識から自由になれず、常に孤独を感じています。彼自身の、周りから一人取り残され、一切の参加をあきらめたような感覚が、次の一文に表れています。

 おれは現実の世界を少しでも変えたりすることのできない男だ、やれない男だ、インポテのセブンティーンだ、おれがやることのできることといったら他人どもの目から逃れて自涜するだけだ。そしてこの世界の全体を造り変えたり補強したりするのはみんな他人どもだ、おれが物置の船室に閉じこもってあれをやっているあいだに、他人どもがこの世界をいじくりまわし、《さあ、これで良し!》というのだ[大江 1968:173]。

 この孤独について考える時に重要なのは、セブンティーンが常に意識している「他人ども」も「この世界」も、具体的なものではないということです。自分の身の回りを具体的に捉えることができないことこそ、彼の感じている孤独の正体です。これについて、思想家のモーリス・ブランショによる次の言葉が参考になります。

 存在者は、おのれ自身で満ち足りてはいないが、だからといって、ひとつの欠けることなき実質を形づくるために他の存在者と結びつこうとするのではない。不充足の意識は存在者が自分自身を疑問に付すことから生じる。そしてこの付疑が果たされるために他者が、あるいはもう一人の存在者が必要なのである。(…)あるいはこう言ってもいいだろう、存在者は単独であるが、自分が単独であることを知るのは、彼が単独ではないその限りにおいてである[ブランショ 1997:18]。

 ということは、セブンティーンは孤独ではなかったからこそ、孤独を感じていた、ということになります。彼は、身近な人に自分自身のことについて何も告白できずにいたのです。

 また、ブランショは次のようにも書いています。

 この意味でもまた、最も個人的なものは、一人の人間に固有な秘密としてとっておかれることはなかった。それは個人の限界を破って分かち合われることを要請していた、というよりむしろ、分かち合いそのものとしておのれを宣明していたからである。この分かち合いはそのまま共同体へと反転するが、それによって共同体の中にさらされ、そこで理論化され、定義づけの可能な真理あるいは対象となることもある――そしてそれが分かち合いというものの危うさでもある[ブランショ 1997:48]。

 つまり、誰かとともにあるなかで、「わたし」が「わたし」であるためには「わたし」自身(秘密)を告白する場(共同体)が不可欠であり、同時にそれは「わたし」自身(秘密)が誰かによって無作為に説明されてしまう危険を伴っているということです。

 セブンティーンの場合、彼は自分の兄について次のようにいっています。

 兄が変わってから、おれは家でまったくの独りぼっちだ、独りぼっちのセブンティーンだ。おれは十七歳でみんなから理解されながら、成長し変化していくべき時期にいるのだが、だれひとり、おれを理解しようとするものはいないのだ、おれはまったくピンチになのに……[大江 1968:162]

 けれどもブランショがいっていることからわかるように、秘密を告白することなく「わたし」が誰かから理解されることはありません。にもかかわらず、セブンティーンは自分の秘密を告白することなく、誰かに解き明かしてもらえるのを待っているようにも思えます。

 ああ、簡単に確実に、情熱をこめてつかむことのできる手を、この世界がおれにさしだしてくれたなら![大江 1968:168]

 「生きた証明」[バトラー 2008:124]は誤解を含んだコミュニケーションによってなされます。「わたし」が「わたし」であることは、たとえ誤解されようとも「わたし」自身が言葉にしなくてはいけないのです。それは、「わたし」の側からこの世界に対して手を伸ばす、ということです。対して、セブンティーンは物語の最後に、この世界の側からさしだされた手と出会います。彼はそれをつかみ、次のようにいいます。

 おれが不安におびえ死を恐れ、この現実世界が把握できなくて無力感にとらえられていたのは、おれに私心があったからなのだ。私心のあるおれは、自分を奇怪で矛盾だらけで支離滅裂で複雑で猥雑ではみだしていると感じ不安でたまらなかった。なにかをするたびに、これはまちがったほうを選んでしまったのではないかと疑い、不安で不安でたまらなかった。(…)私心を捨てた人間の幸福が忠なのだ![大江 1968:214-215]

 彼は自分自身に異和感があることに気づいていながら、それを私心として理解して捨てることによって幸せを手に入れます。対して、「奇怪で矛盾だらけで支離滅裂で複雑で猥雑ではみだしている」[大江 1968:214]ことを受け止め、身近な人たちに告白し、分かち合うこと、それが「わたし」が「わたし」であるという「生きた証明」[バトラー 2008:124]です。

 セブンティーンは忠、つまりなにかに従うことによって手にすることができる幸せに酔います。「わたし」が「わたし」であることとは、セブンティーンが言葉にできなかった世界のことです。

 このブログでは、なにかに従うことの幸せよりも、なにかを分かち合うことの幸せについて考えたいと思います。従うことは「わたし」じゃなくてもいいけれど、分かち合うのは「わたし」でなければいけないからです。

 

・参照文献

ヴィリリオ、ポール

 2001 『速度と政治――地政学から時政学へ』市田良彦訳、平凡社

大江健三郎

 1968 『性的人間』新潮社。

柄谷行人

 2003 『倫理21』平凡社

バトラー、ジュディス

 2008 『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』佐藤嘉幸・清水知子訳、月曜社

ブランショ、モーリス

 1997 『明かしえぬ共同体』西谷修訳、筑摩書房

ベイ、ハキム

 1997 『T.A.Z.――一時的自律ゾーン』箕輪裕訳、インパクト出版会

ホロウェイ、ジョン

 2011 『革命――資本主義に亀裂をいれる』高祖岩三郎・篠原雅武訳、河出書房新社

山口昌男

 2000 『文化と両義性』岩波書店

 

自立の倫理を自分でつくる(3)――「世間」にむけた、異和感を愛するという抵抗

 自立の倫理を自分でつくる(2-2)では、異和感がまとまることによって「世間」に亀裂[ホロウェイ 2011]をいれ、そこがたとえ一時的なものであったとしても異和感にとっての居場所になりうる、ということを述べました。異和感とは、一方的に排除されるだけではありません。たとえば、野宿者として公園にいざるをえない状況がいつのまにか子どもたちとの触れ合いを生むこともあるのです[山北 2014]。それがありふれた日常のなかのほんのひとときの出来事でも、異和感と出会うことは異和感にとっての居場所をつくります。

 けれども一方で注意しなくてはいけないのは、異和感が「世間」に居場所をつくるということは、わたしたちの暮らす世界を異和感だけで満たすこととは違うということです。なぜなら、同じもので満たされた世界こそが「世間」だからです。

 これまでこのブログでは、文化人類学者の山口昌男さんが「無徴」と呼んだものと「世間」を重ね合わせて捉えてきました。山口さんが同じもので満たされた「無徴」の世界として捉えたものの一つが、学校です。

 ですから、学校というものに集約された、あらゆる物を一緒にした均質な空間をつくろうとする社会のあり方をもう一度考え直すときに来ていると思うのです。ちょっとやそっとでは解決できないと思うわけですけれども、生きている社会を考え直すきっかけには、このいじめは重大な問題であるという感じがいたします[山口 2007:61-62]。

 山口さんは、「あらゆるものを一緒にした均質な空間をつくろう」[山口 2007:61]とした結果、いじめが生まれるのだといいます。世界を同じもので満たそうとすれば、そうではない別のものを排除せざるを得ないからです。

 学校の子供集団が、ほんのちょっとしたちがいを取り出すのもそういうところからです。(…)普通の子供とちがったしるし、たとえばどもる、太り過ぎ、やせ過ぎ、色白、色黒、運動神経が鈍くてのろまである。耳が小さかったりするといった、別になんということもないものを極端に拡大することによって有徴性を拡大していく。集団はそういう形で自分たちの防御の体制をつくる傾向があるのです[山口 2007:50]。

 異和感のために排除されているのだから異和感をなくそう、というものの考え方では、もう一つの別の「世間」を生むことにつながってしまいます。大切なのは、「世間」からはみ出しながら、自分や人の異和感異和感として受け止めることではないでしょうか。そしてそれは、異和感を排除すること、異和感によって排除されてしまうこととは違うはずです。

 どういうことでしょうか。MOSAIC.WAVが歌う、「片道きゃっちぼーる」の歌詞[柏森 2007]には次のようにあります。

ほにほに 羽根の 整わない

君の折り紙 貸してみせてよ

全部ひらいてみたら

ほんの小さなカドのほころび

ひとつだけ色の違うボタン

気に入らなくて捨ててしまったけど

大人になったときに

ズレた世界も愛しく思うよ[柏森 2007]

 異和感異和感でいられるのは、「片道きゃっちぼーる」[柏森 2007]で歌われているように、それが「全部」のなかの「ほんの小さなカドのほころび」であり、また「ひとつだけ色の違うボタン」[柏森 2007]だからです。それはときに、「気に入らなくて捨てて」[柏森 2007]しまうようなものかもしれません。けれども、わたしたちはそれと向き合うことで、愛することも可能なのです。

 また、ミュージシャンのStingが歌う「ENGLISHMAN IN NEW YORK」という曲には、ニューヨークに馴染まずに街を闊歩するイギリス人が登場します[Sting 2011]。Stingはそれをリーガルエイリアンと呼び、「Be yourself no matter what they say」[Sting 2011]と歌います。

 身近な世界に居場所がないということ、自分が暮らす街に馴染めないということは、たしかに居心地の悪いものかもしれません。けれども、それでも、Stingが歌うリーガルエイリアンはニューヨークの街中で自分らしくあろうとします。

 つまり、「世間」に居場所をつくるのは「世間」に馴染む「わたし」ではありません。それは、人から好かれる「わたし」ではなく、むしろ人から嫌われてしまった「わたし」であり、また「わたし」自身でさえ好きになれない「わたし」である、ということなのです。なぜでしょうか。

 それは、人から好かれる経験そのものが、「世間」においては「書記バートルビー」[メルヴィル 2015]のバートルビーのように、「規範化された愛情」[岡原 2012]を前提にしているからです。これについて、例えば哲学者のジュディス・バトラーの「私たちが愛において強要されているということは、ある意味で、なぜそのように愛するのか、なぜ決まって間違った判断を下してしまうのかを私たちがそれほど理解していない、ということだ」[バトラー 2008:191]という言葉が参考になります。「世間」の要求通りに人を愛するということは、異和感を愛することからわたしたちを遠ざけます。いいかえれば、「世間」は愛し方のよくわからないものとして、異和感を排除してきたのではないでしょうか。

 異和感と出会い、異和感と向き合うこと、それは日常のありふれた出来事のなかでつねに起こりうることです。けれども、それを愛すること、理解しようと努めることを、わたしたちはときに拒否し、排除しようとしてしまいます。その結果生まれた世界が「世間」だとすれば、わたしたちは、わたしたち自身のある欲望に抵抗しなければいけません。この欲望というのは、山口さんが述べているような、自分(アイデンティティ)を保つために自分ではない別のものを排除しようとする欲望です[山口 2007:50]。

 そしてその欲望に対する抵抗とは、次のようなものです。

 日常生活の世界は、私たちの身体をも含む、外的実在の世界である。これは私たちの推進力の発生する場であり、身体的行為の起こる場である。それは克服するのに努力を必要とする抵抗をもたらす。それは私たちに課題を与え、私に自分のプランを推進することを許し、私の目的に達しようとする努力を成功に導いたり失敗させたりする。私はこの世界を他者と共有する。他者と私は共通の目的や手段を持つ。こうした生活世界の中で最も中心的な機能は、それがコミュニケーションの場を提供するという点にある。この仕事の世界があるために、互いに近づこうとする二つの意識の働きかけが効力を発揮することができる。こうした中心的な場を持たなければ、一貫した世界の保障は一つの文化のなかに見出せなくなる。したがって人は、これまで、個人的な自由の一部を犠牲にしても、コミュニケーションの確保のために必要な最低限の場は残してきた[山口 2000:158-159]。

 異和感を愛そう、理解しようと努めることが「世間」に対する抵抗です。山口さんはそのための手立てを、コミュニケーションに見出します。

 重要なのは、山口さんの関心がコミュニケーションの成立か不成立かにあるのではなく、コミュニケーションそのものに向いているという点です。そしてコミュニケーションそのものとは、「この世界」を「他者と共有する」[山口 2000:159]ためのものとしてあります。

 実際に異和感を愛せるのか、理解できるのか、ということと、異和感を愛そう、理解しようとすることは同じでなくてもいいのです。愛せなくても、愛そうとしたこと、理解できなくても、理解しようとしたことこそが「この世界」を「他者と共有する」[山口 2000:159]ということであり、「世間」に対する抵抗たりうるのです。

 これについて、バトラーは次のように述べています。

 もし私が自分自身を説明しようとするなら、それはつねに誰かに対してであり、私の言葉を何らかの仕方で受け止めてくれると私が想定している人に対してである。――たとえ私はどのように受け止められるかを知らず、また知ることができないとしても。実際、受け止める側と位置付けられる者は、まったく受け止めていないかもしれず、いかなる状況でも「受け止めること」とは呼ばれないような何かに関わっているのかもしれないのであり、私はありうべき受け止めへの関係が分節されるような場、立場、構造的位置を作る以外のことはしていない。というのも問題は、ありうべき受け止めへの関係が生じる場が存在する、ということだからだ。ありうべき受け止めに対して、この関係は多くの形を取る。すなわち、誰もこれを聞き取ることはできない、この人はきっとこれを理解してくれるだろう、私はここで拒絶されるだろう、そこでは誤解されるだろう、裁かれるだろう、退けられるだろう、受け止められるだろう、あるいは抱き止められるだろう、といった具合に[バトラー 2008:123-124]。

 このバトラーの言葉は、「わたし」についてのものです。これまでのことを整理しながらいいかえれば、愛されなかった「わたし」は、愛されていたかもしれない「わたし」であり、理解されていたかもしれない「わたし」である、ということです。そしてそれは、「ありうべき受け止めへの関係が生じる場」[バトラー 2008:123]から生まれた「わたし」です。バトラーはそうした事実を、「過去が過去でないという生きた証明」[バトラー 2008:124]であると述べています。

 愛されなかった経験、理解されなかった経験を排除の経験として捉えるのではなく、たしかにあのとき「わたし」は愛されようとしていたのかもしれない、理解されようとしていたのかもしれないという「生きた証明」[バトラー 2008:124]として捉えなおそうとすること、それが「世間」に対する抵抗です。それは愛することそのものを強いる「規範化された愛情」[岡原 2012]とは違います。

 愛されなかった「わたし」、理解されなかった「わたし」が成熟した大人たちのシニシズム[ベラルティ 2010:239]に陥らないために、わたしたちはもう一度、「世間」とコミュニケーションをとる必要に迫られています。

 

・参照文献

岡原正幸

 2012 「制度化された愛情――脱家族とは」『生の技法[第3版]――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』pp.119-157、生活書院。

バトラー、ジュディス

 2008 『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』佐藤嘉幸・清水和子訳、月曜社

ホロウェイ、ジョン

 2011 『革命――資本主義に亀裂をいれる』高祖岩三郎・篠原雅武訳、河出書房新社

メルヴィル、ハーマン

 2015 『バートルビー/漂流舟』牧野有通訳、光文社。

山北輝祐

 2014 「野宿者の日常的包摂は可能か」『社会的包摂/排除の人類学――開発・難民・福祉』pp.200-215、昭和堂

山口昌男

 2000 『文化と両義性』岩波書店

 2007 『いじめの記号論岩波書店

柏森進

 2007 『片道きゃっちぼーる』ランティス

Sting

 2012 『ベスト・オブ・25イヤーズ』USMジャパン。

 

自立の倫理を自分でつくる(2-2)――ストリートの叫びと「世間」の亀裂

 「自立の倫理を自分でつくる(2-1)」では、「世間」が「当たり前」を要求することによって排除してしまうものを、文化人類学者の山口昌男さんの本から異和感として理解しました[山口 2000]。そして、異和感とは「世間」によって排除されてしまうことはあってもそれそのものが否定されるわけではないということを、山口さんのエッセイ[山口 2004]や社会学者の山北輝祐さんの論文[山北 2014]から確認しました。自分の異和感を否定せず、「世間」に堂々と居場所をつくることが、「自立の倫理を自分でつくる」うえでは大切なのです。

 ただし、自分の異和感を守るということは、わたしたちの目の前にある排除と向き合うこととほとんど同じです。「世間」が要求する「当たり前」ができるようになることよりも、どうして自分の異和感の方が大切なのでしょうか。

 今回のエントリーでは、自分の異和感を守ること、また、わたしたちの目の前にある排除と向き合うことで「世間」に亀裂*1がはいることを確認します。そしてこの亀裂に異和感の居場所をつくること、それが「自立の倫理を自分でつくる」きっかけになりうるということを示してみようと思います。

 文化人類学者の猪瀬浩平さんは、ストリートという空間を「もっとも先鋭的に管理が進行する場であるとともに、それに抵抗する萌芽が見出される場」[猪瀬 2011:81]として捉えたうえで、まずその管理の側面を強調しています。そこは、「人びとをスムーズに交通させながら、監視カメラによって常に視線を向けられ、行動を記録される場」[猪瀬 2011:82]なのだといいます。ストリートのスムーズな交通は、人びとがそれをよいこととして理解し、協力的であることによって維持されています。けれども、もし人びとがそれを拒むとしたらどうなるのでしょうか。

 より重要なのは、従順であることを拒んだ際の排除の側面である。たとえば、管理社会において、私たちの前には多様な行為の選択肢が与えられている。しかし、スムーズな「選択」ができない場合、あるいは選択自体を拒んだ場合、与えられた自由の「外部」に排除されることになる[猪瀬 2011:82]。

 こうしたストリートの二面性は、「世間」が異和感を排除することととてもよく似ています。排除を回避したければ、わたしたちはストリートのスムーズな交通に対して従順であることが要求されます。それはたとえば具体的に、どのようなときでしょうか。

 猪瀬さんは、JR東日本電子マネーSuica」のCMから次のようなことを読み取ります。

 このCMに描かれているものは何か。そのままを受け取れば、ICカードを使えばスムーズに会計ができ、ストレスを感じることなく買い物ができるその利便性であろう。しかし、このCMは公共広告としてみることができる。そこに込められたメッセージは「立ち止まるな」ということだろう。つまり、ものを購入する欲望を抱いたのだとしたら、余計なことをせず、もたつくことなく、人にストレスを感じさせることなく、円滑にコトをすませて、その場から立ち去れということ。そしてそれができない人間は、白い目で見られても仕方がないということだ[猪瀬 2011:82]。

 ここには、ストリートが要求するスムーズさに従順であることが、わたしたちにとって望ましいことだとする価値観があらかじめ用意されています。そして従順でさえいれば、それはきっと正しいことでしょう。猪瀬さんがこの論文の参考文献に挙げている、フランスの思想家ポール・ヴィリリオの『速度と政治』[ヴィリリオ 2001]には、次のように書いてあります。

 純血種の馬も、もう自分で走ることはしない。手綱という伝導ベルト、拍車という加速器を操る騎兵によって、走らされるのである。さもなくば、馬は轡を噛んで暴れ、制御されざるもの、野生そのものに戻ってしまう……。自己表現してしまう!

 理性はここで(聖書の中でのように)身体にとってはすぐれて死の一形態である。(…)占領の仕方はここでも、馬の背を制御することで「思いのままになる発動機」を手に入れたと主張する騎兵のやり方である。(…)理性の憑依とともに、生きた運搬具の臨検は文字通りの海賊行為となるのだ[ヴィリリオ 2001:133-135]。

 わたしたちの世界にはそれに従わなければ排除されてしまうような命令が先にあるのではなく、理性に占領された無数の従順な「わたし」があらかじめ待機しているのです。命令が正しいから従うのではなく、従うことによって正しさが装填されてしまうこの事態によって、わたしたちはいつしか自分の力で正しさを判断することを放棄してしまったのではないでしょうか。

 ストリートの理性によって人びとが目の前で起こるもたつきに目を背け、要求に応じることによって受けることができる恩恵だけに満たされてしまうとき、そこに「世間」の「当たり前」が現れます。イタリアのアウトノミア運動で中心的な役割を果たしたフランコ・ベラルティは、こうした事態を「現代文化に広く蔓延しているシニシズム」[ベラルティ 2010:239]として捉えます。

 現代文化に広く蔓延しているシニシズムは、成熟した大人たちにはびこっているシニシズムである。(…)これは次のようなことを言う人たちに蔓延しているシニシズムである。ただこうした規範・法律・義務・特権を受け入れることによってのみ、前へ進むことができるんだ、ただこうやってのみ生き延びることができるんだ、ただこうやってのみ社会は機能することができるんだ、と。このシニシズムこそが、無知である――なぜなら、本当ではないこと、こんな形では前へ進むことができないということ、正しくもないしあってはならないようなことに対して、目を閉じているからである。(…)

 シニシズムは無知である。無垢ではない*2[ベラルティ 2010:239-240]。

 理性によって馬は走るのではなく走らされているのだとヴィリリオがいったように[ヴィリリオ 2001:133]、「世間」の「社会の口出し」とは、こうした「成熟した大人」たちのシニシズムによって言うのではなく言わされているものではないでしょうか。

 たとえばここで、社会学者の岡原正幸さんの「規範化された愛情」を参照します。それは、「ある社会状況では、愛情を経験することが社会的に要請され、愛情を経験しないことは逸脱として制裁を受ける」[岡原 2012:136-137]ものとして説明されています。それをふまえて、「書記バートルビー」[メルヴィル 2015]に登場する「よき父親」としての「私」[ドゥルーズ 2002:164]を、ベラルティのいう「成熟した大人」[ベラルティ 2010:240]と重ねます。このとき、「世間」に亀裂をいれるために大切なのは、規範化されない感情のあり方です。とくにストリートに注意するとき、社会学者の毛利嘉孝さんは次のようにいっています。

 「管理社会」で重要なのはもはや規律訓練ではなく、継続的な調整や規制であり、そこでターゲットになるのは情動である。

 「ストリート」とは、断片化し、流動化した身体が移動している場所である。新しい権力に抗するには、言語によって分節化された対抗的な言説だけでは十分ではない。それ以上に具体的な直接行動や、情動に訴える身体的なパフォーマンスや音楽が、動員される必要があるのだ[毛利 2009:183]。

 毛利さんは、管理社会によって感情が調整や規制を受けてしまうことを指摘します。そして猪瀬さんは、管理社会が先鋭化する場としてストリートを捉えました。このとき、異和感はどのようにして「世間」に亀裂をいれるのでしょうか。

 作家の雨宮処凛さんは、あるストリートの叫びを振り返ります。それはこれまでこのブログで考えてきたことや書いてきたことから、多くの異和感のまとまりとしても捉えることができると思います。

 その日、私たちは1000人で新宿の街を踊りながらデモ行進した。サウンドシステムを積んだトラックからは大音量で音楽が流れ、その後ろでは人びとが叫び、笑い、踊りまくる。(…)土曜日の新宿は、突如現れた1000人以上の「貧者の行進」に度肝を抜かれ、だけどあまりにも楽しそうなデモ隊に沿道の人々は「俺も」「私も」と次々と笑顔で飛び入りしてくる。

 この日行われたデモは「自由と生存のメーデー08 プレカリアートは増殖/連結する」。フリータなどを中心として始まったこのメーデーには、今や「金持ち」以外のあらゆる人々が参加し、「生きさせろ!」と訴える。「わしらはみんな生きている」というダンボール製のプラカードを持ったホームレスのオジサン、車いすに乗った障害者の人の持つプラカードには「自立支援法では自立できません」、「バイト首切り→社員過労死」という横断幕を持つガソリンスタンドで働く人々、派遣社員もいれば正社員もいるし、「名ばかり管理職」もいればゴスロリ少女もいる。手首にびっしり傷をつけた女の子もいれば、これから社会に出る中学生、高校生もいるし公務員もいる。

 そうして全員で声を合わせて叫ぶのは、「よこせ!」。アルタ前の雑踏に、「よこせ!」コールがこだまする。よこせ。生存を、自由を、まともな仕事を、住む場所を、食う物を、明日の仕事を、生活保護を、そして私たちの「未来」そのものを[雨宮 2008:19]。

 ここに「成熟した大人」[ベラルティ 2010:239]はいません。「本当ではないこと、こんな形では前へ進むことができないということ、正しくもないしあってはならないようなこと」[ベラルティ 2010:239]についてストリートで叫ぶこと、それはストリートの理性に従順であることとは真逆のあり方です。異和感を持った1000人の行進と叫びが、「世間」にひとときのあいだ亀裂をいれたのです。これをベラルティが「無知」と区別した、ひとつの「無垢」のあり方として、捉えてみようと思います。

 「成熟した大人」たちに蔓延しているシニシズム(無知)を理解し、またそのただ中にいながら、「成熟した大人」たちとは別の生き方へ向かおうとすること、それが無垢であるということではないでしょうか。人びとがこうしたシニシズムから少しずつ無垢へと向かう、その徴候として、ベラルティは日本のひきこもりを例に挙げます。

 今日の問題とは、孤独になること、未来を恐れること、自殺することです。というのは、こうしたことが新しい世代のなかで、つまり不安定性と接続性を生きる世代のなかで拡大する傾向にあるからです。ひきこもりというのは、今日の苦悩、今日の弱さのしるしであり痕跡であります。しかし、ひきこもりは、ひとつの文化的徴候、つまり離脱して自律性を追い求める文化的徴候でもあるのです[ベラルティ 2010:267]。

 このブログではまた、孤立を回避しながら無垢を獲得するためにはどうすればいいのかということについても考えています。アメリカの作家ハーマン・メルヴィルが書いた『書記バートルビー』[メルヴィル 2015]のバートルビーも、また『ニートの歩き方』[pha 2012]を書いたphaさんも、こうした「文化的徴候」[ベラルティ 2010:267]としての無垢な人びとだということができるでしょう。

 「異和感」がわたしたちを「世間」の外側へと導くとき、ストリートは叫びます。「規範化された愛情」[岡原 2012]のような、理性によって説き伏せられてしまった感情によるものではなく、「社会の口出し」に対する無垢な感情によって、「世間」に亀裂をいれるために、わたしたちは叫ぶことができるのです。

 

・参照文献

雨宮処凛

 2008 「世界の当事者になるVOL.42 広がる『生きづらい人』『貧乏人の輪』!」『THE BIG ISSUE JAPAN』98:19。

猪瀬浩平

 2011 「方法としてのストリート――管理社会における自律した生存領域の創造に向けて」PRIME(34):81-88。

ヴィリリオ、ポール

 2001 『速度と政治――地政学から時政学へ』市田良彦訳、平凡社

岡原正幸

 2012 「制度化された愛情――脱家族とは」『生の技法[第3版]――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』pp.119-157、生活書院。

ドゥルーズ、ジル

 2002 『批評と臨床』守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社

ベラルティ、フランコ

 2010 『NO FUTURE――イタリア・アウトノミア運動史』廣瀬純・北川眞也訳、洛北出版。

ホロウェイ、ジョン

 2011 『革命――資本主義に亀裂をいれる』高祖岩三郎・篠原雅武訳、河出書房新社

メルヴィル、ハーマン

 2015 『バートルビー/漂流舟』牧野有通訳、光文社。

毛利嘉孝

 2009 『ストリートの思想――転換期としての1990年代』NHK出版。

山北輝祐

 2014 「野宿者の日常的包摂は可能か」『社会的包摂/排除の人類学――開発・難民・福祉』pp.200-215、昭和堂

山口昌男

 2000 『文化と両義性』岩波書店

 2004 『知の遠近法』岩波書店

pha

 2012 『ニートの歩き方――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』技術評論者。

 

 

*1:この「亀裂」という言葉は、政治学者のジョン・ホロウェイによる意味をふまえています。「可能性という漆黒の湖を覆う氷床を想像してみよう。われわれが『否!』と声高に叫ぶと、氷には亀裂が生じ始める。ここで剥き出しになるものは何であろうか?(つねにではなく、ときおり)亀裂のあいだからゆっくりと、もしくはすぐさま泡立ってくる暗い液体は何だろうか? これを尊厳と呼ぶことにしよう。氷に生じた亀裂は、予想に反して動く。ときに加速し、ときに減速し、ときに拡がり、ときに狭まり、ときにまたもや氷結して消え、ときに再び現れる、というように。湖の辺り一面には、われわれがやっているのと同じことをする人々がいる。ありったけの力で『否!』と叫び、氷の亀裂と同じように動く亀裂をつくり出す。それは、拡がり加速し、他の亀裂と一緒になったり、ときにまたもや氷結するというように、予期に反して動いていく。そのなかにある尊厳の流れが強ければ、それだけ亀裂の力も強力になる」[ホロウェイ 2011:32]。また、その具体的なものとして雨宮さんの「生きさせろ!」や「よこせ!」[雨宮 2008:19]を捉えました。

*2:「無垢とは何だろうか? おそらくは無知のようなものだろう。単にまだ知らなかったという素朴さ、複雑な機能を理解しないですませる不完全さといったところだろうか?

 だがそうではない。無垢とは、無知のことではない。

 とすると、無垢とは抑圧のことなのか? 物事に自覚的であることへの恐怖、恐怖を見た後にまるで何事もなかったかのように振る舞いつづけようとする努力のことだろうか? それは何か耐えられないものに対峙したときの諦観、見ないようにするために目を閉じることで、自らを再生し生き延びつづけようとする身振りのことなのだろうか?

 しかし、無垢は抑圧ではない」[ベラルティ 2010:238-239]

自立の倫理を自分でつくる(2-1)――「世間」に異和感を侵入させよう

 「自立の倫理を自分でつくる(1)」では、いまの日本社会で自分のことを自分で決めることが難しい原因を「社会の口出し」に求めました。「社会の口出し」には、いくつかの具体的なものの言い方があります。例えば、たくさん稼いでたくさん使うことをよいことだと考える「消費の美徳」[栗原 2015]のことであったり、夢はあきらめない方がいい、やればできるという価値観[古市 2010]であったり、家族や恋人に向ける感情を勝手に仕立ててしまう「規範化された愛情」[岡原 2012]のことです。そのようにして、わたしたちの社会は、誰かがそうした価値観に疑問を抱いたとしても、「社会の口出し」に対してなにかを言い返すことが難しい状況にあります。こうした背景を捉える為に、「世間」というものを考察するのが、このブログの当面の目的です。

 そこで、「自立の倫理を自分でつくる(1-2)」(2017/08/13)では、批評家の柄谷行人さんの「世間」に関する指摘を参照しました。柄谷さんは「世間」を、「気まぐれで、正体がはっきりしない」[柄谷 2003:31]ものだとし、「不特定の社会的圧力」[柄谷 2003:18]をもつものだと述べました。

 この「世間」の「不特定の社会的圧力」[柄谷 2003:18]は、わたしたちに様々なことを強いています。そして、強いられていることのひとつひとつにだれかによる評価がつきまとっていて、そのよしあしは自分の思い通りにはなりません。ニートでありながらシェアハウスを立ち上げたphaさんは、『ニートの歩き方』[pha 2012]という本のなかで、「世間」に強いられる生き方と自身の生き方について次のように述べています。

 みんなが当たり前にできているような、毎日決まった時間に起きるとか、他人と長時間会話するとか、大勢の人が集まっている場で適切に振る舞うとか、そういうことが自分はできないのはなぜなんだろう。努力が足りないとか、コツを知らないとかそういうことなのだろうか。十代、二十代の頃はずっとそんなことに悩んでいて試行錯誤を繰り返していた。(…)

 世間で模範的とされている生き方、例えば「ちゃんと学校に行ってちゃんと就職して真面目に働いて結婚して子供を作って育てる」みたいなのに違和感を覚えない人は別にそれでいいと思う。人はそれぞれ幸せになれる場所が違うし、そのルートで幸せに生きられる人はそこで生きたらいい。皮肉などではなく素直にそう思う。

 けれど、そういった世間で模範的とされている生き方にどうしても馴染めないし適応できなくて、「それって自分が悪いのかな」とか「自分の努力が足りないのかな」とか悩んでいる人に対しては、「別にどんな生き方でもなんとか生きられたらそれでいいんじゃないの。自殺したり人を殺したりしなきゃ」と言ってあげたい。それはその人が悪いのではなくその人と環境との相性が悪いだけだからだ[pha 2012:132-133]。

 phaさんがいうように、「世間」とは、わたしたちに「当たり前」という一つの模範的なあり方を示します。けれども、その模範の通りに生きることができないひともいます。問題なのは、この「当たり前」があることによって、そうではない別のあり方が悪いことだと見なされてしまうことでしょう。

 示された模範の通りにできないことによって、どうして「『それって自分が悪いのかな』とか『自分の努力が足りないのかな』」[pha 2012:133]と感じてしまうのでしょうか。文化人類学者の山口昌男さんは、そうした「当たり前」があることによってそうではない別のあり方が排除されてしまうしくみを、有徴と無徴という言葉を使って説明しています。

 そこら辺にあって当たり前だと思うもの、何とも思わないものは無徴です。日常生活のありふれた光景を構成しているものは、無徴の記号である。(…)

 集団には有徴の人間を特にマークする手段があって、ある種の人間を排除します。(…)

 都合が悪いことには、人間は、排除されるものを目に見えるようにしておいて、外側に置き、内側にいることによって自分のアイデンティティを保とうとする傾向があります。具体的に、「私は……ではない」ということによって、正常であることを間接的に強調し、安心するというところがあるわけです[山口 2007:48-50]。

 「世間」は模範を示すことによって、そうではない別のあり方をマークし、場合によっては排除します。これについて、例えば教育社会学者の貴戸理恵さんは、フリーター、ニート、ひきこもり、不登校の人たちは「『学校に行っていない』『職に就いていない』など、『~していない』というネガティブに記述された状態」[貴戸 2012:67]だと指摘しています。

 けれども、たとえ「世間」からよくない状態であるとみなされたとしても、「世間」に居場所をみつけることはできると考えるのが、このブログの立場です。これから具体的に二つの出来事を通して、このことについて考えてみようと思います。

 山口さんは「噂がひとを襲うとき」[山口 2004]というエッセイの中で、自身がインドネシアフローレス島での調査中に婦女暴行未遂の容疑をかけられた話を紹介しています。

 九月(一九七五年)に入ったある日、私が滞在していた中部フローレスのある林に海岸の町から小型バスにゆられて戻る途中、隣に乗り合わせた紳士が、あなたは七月二十六日にどこにいたかというので、おかしなことを訊く奴だなと思って多少仏頂面しながら、「海岸の村々を毎日毎日歩いていたよ」といった。車からの降り際にその男は「いや有難う、自分は警察のものだ」と言い捨てた[山口 2004:41]。

 そうして山口さんは翌日、警察に取り調べを受けてしまいます。山口さんは日記として使っていた手帳を見ながら七月二十六日の自身の様子を警察に伝えますが、そのうちあることを思い出しました[山口 2004:41-42]。

 その日は大切な儀礼があるため、祭礼のある村に五時までに帰らなくてはならなかったので急ぎ足で歩いていると、向こうから薪を頭に乗っけてやって来た二人の娘が、五十メートルくらい先で私を見て、薪をパッと捨て、「きゃー」と叫んで逃げ出した。そこで私は「おーい、こわがることないじゃないか……。私は人間だ、日本人だ。悪魔なんかじゃない……」と叫んだのだが、娘たちは畑の中に隠れてしまった。それから百メートルくらい行くと、手に刀身六十センチくらいある抜身の刀を手にぶらさげた男が二人、こちらに向かってくる。私が「どうしたのだ」というと、「何でもない」と答える。「俺は人間だよ」といっても特に反応を示すことなく過ぎてしまった[山口 2004:42-43]。

 山口さんが後から知ったことによると、この日のあと、四、五十人の男たちが手に刀や槍などをもって「娘たちを襲った男」を探していたのだと言います[山口 2004:43]。そんななか、山口さんと知り合いの地域の神父さんが通りかかります。神父さんは山口さんが地域の人たちに容疑をかけられていると思い当たり、男たちを説得しますが、結局、山口さんは警察署に喚問を受けてしまいます[山口 2004:43]。

 こうした神父の説得があったにもかかわらず、この村の村長は、島の中央警察署に報告を送り、その結果、警察はスキャンダルの当事者として私を喚問することにしたというのが、岡っ引き風の刑事の説明したところである。「そんな馬鹿な」と抗弁したが、刑事は、とにかく中央警察署へ行って説明してくれたまえという。こうして私は婦女暴行未遂容疑者として、エンデという、昔スカルノが流されていた海岸の町の警察署に出頭せざるを得ない羽目に陥った[山口 2004:43-44]。

 どうして、山口さんの容疑はなかなか晴れなかったのでしょうか。山口さんはそれを、自身がインドネシアフローレス島の人たちにとって異人だったからだといいます。

 とにかく、数十年前までの儀礼人狩り、半世紀前までの台風のように周期的に襲う群盗の作った『七人の侍』的雰囲気、政府の反共産主義キャンペーン等々といった、伝統と現代が交錯する恐怖の谷間に生きている人たちの中に、忽然と異人が立ち現れた時の素朴な反応が、この「暴行未遂事件」には顕著に読み取ることが出来る。警察当局も、異人に対して住民がパニック状態に陥る反応を示したことに深く満足したらしく思われた[山口 2004:44]。

 山口さんは、インドネシアフローレス島の人たちにとって「当たり前」のものとは違う異人でした。そのために「婦女暴行未遂」の容疑までかけられてしまいましたが、注意しなくてはいけないのはその容疑を晴らすために地域の人たちを説得した神父さんのような人もいたということです。その人のことをよく理解し、そばにいてくれる誰かによって、「世間」にマークされることが直接排除とは結びつかないようになっているといえるでしょう。

 山口さんは、こうした「当たり前」からはみ出した、「当たり前」とは相容れないような性質のことを「違和感」と区別して「異和感」と呼んでいます。

 「違和」はもともと「からだの調和が破れること」という意味であり、転じて「他のものとしっくりしないこと。ちぐはぐ」(『広辞苑』)とされる。つまり、「違和」という語の原義は身体というミクロコスモスに関わるものであり、内部性の表現であったということになる。聖徳太子の十七条の憲法に「和をもって尊しとなす」という一節があるように、日本文化の中には「和」の理念の支配がある。先にも記したように「違」は内側に属するものの違いであるから「和」を前提としており、「違和」という語には同質なものの間の差異、内部における差異という意味が込められており、「違」と「和」両者の結びつきは自然であると考えられる。

 これに対して「異」は、本書で使っている別のキーワードである「異人」「異化」などに現れているように、外部性を表すものである。「和」は内部性の表現であるから、「異」「和」の組み合わせの「異和」は水と油の如く、一つの枠組みの中で表現されるはずのないものであった[山口 2000:v-vi]。

 「世間」がマークするものは、こうした「和」を前提としない「当たり前」とは異なる存在です。山口さんはそうした、「当たり前」の外側にあるものを捉える為に、異和感という言葉を使っています。山口さん自身が異人になることによって起きたこの出来事は、「当たり前」のものだけで満たされているようにみえる「世間」にも異和感の居場所があることを示しているように思います。

 もう一つは、社会学者の山北輝祐さんが調査中に出会った日本のある野宿者についての出来事です。

 私は二◯一一年に一回だけだが、ある地方の野宿者支援団体のおにぎり配りに参加した。(…)ある公園に着いて、その日はじめての野宿者に声をかけようとして近づいていったときだった。公園内の建物の軒先で、地面に座って雨宿りをしている一人の野宿者の背中の一部と濡れた布団が見えていた。彼の正面に回り始めると、目を疑う光景に見入ってしまった。髪と髭が伸びっぱなしの彼の隣には、二人の小学生の年ごろの女の子が毛布にくるまって、彼の布団の上に座っていた。(…)

 このおにぎり配りのコースに何年もまわっている支援者が教えてくれた。「あれは近所の子なんです」。私は耳を疑った。「いつもは男の子が来ているんですけどね」。私は子どもによる「野宿者襲撃事件」をよく耳にしていたため、子どもと野宿者は水と油の関係だと思うふしがあった[山北 2014:204-205]。

 山北さんがこの野宿者と子どもたちとの関係を通して感じ取ったのは、信頼関係でした。それはその野宿者と子どもたちとの間にあるものでもあり、その野宿者と地域との間にあるものでもありました。山北さんは、地域の人が時折自分の子どもをその野宿者にみてもらうこともあるという話を、支援者から聞きます[山北 2014:205]。

 山北さんはこの野宿者へのインタビューのなかで、「人間関係は興味を持つことだ」といわれます[山北 2014:209]。これをこのエントリーでは、これまでのことをふまえて、「人間関係は異和感に興味を持つことだ」といいかえてみようと思います。「世間」の「当たり前」は、こうした異和感を無視することによって成り立っていると考えるからです。このことについて、山口さんは次のようにいっています。

 そもそも皮相な意味での日常生活に生きる人間にとって、アイデンティティとは、一見不定形のもの・気味悪いもの・形のくずれたものの感染を絶えず防ぐことによって成り立っている。悪魔、敵、政治的弱者、叛徒、社会的弱者、不具、畸形、狂人、貧民、浮浪者、(特に伝染性のある病の)病人、こういったもろもろの、究極的にはエントロピーの完成としての死のメタファーを、快適な生活の視界からできるだけ遠ざけることによって、一人の「正常」な人間の安楽な、しかし弾力性の欠いた世界は成り立っている[山口 2002:248]。

 「世間」という世界は、こうした異和感を「目に見えるようにしておいて、外側に置」[山口 2007:50]くことで、「一人の『正常』な人間の安楽な、しかし弾力性の欠いた」[山口 2002:248]ものとして成り立っています。つまり「世間」とは、生きていても異和感を感じない世界のことだということができそうです。

 これに対してこのブログで大切だと思うのは、「世間」に溶け込まず、馴染まず、異和感を解消せずに堂々と「世間」に侵入していく生き方やあり方です。もちろん、それは「不特定の社会的な圧力」[柄谷 2003:18]に身をさらしていくことでもあります。けれども、インドネシアフローレス島での山口さんも、山北さんが出会った野宿者も、この「世間」の圧力を甘んじて受けていたわけではありません。そこには、自分自身の生き方やあり方を周囲に納得させていく営みがありました。山口さんはそうした営みについて次のように述べています。

 人間は絶えず秩序の中で日常生活を送っていると共に、何らかの形で「落ちこぼれ」、「はみ出し」との対話を少しずつ、いろいろな場で持つことによって、自分を更に豊かにするという可能性を持っているのではないでしょうか。ですから、人間の持っている醜い分身を全部切り捨ててしまうということは、結局我々にとって非常に危険なことであり、むしろこうしたものと積極的なコミュニケーションの必要性とその在り方について、今や我々は新たな認識を確立すべきではないでしょうか[山口 2007:195]。

 日々の暮らしの中で異和感と出会うことは、わたしたちの生きているこの世界が「当たり前」だけでできていないのだということを教えてくれます。それに気がつくとき、わたしたちはすでに、自分の異和感を守りながら「世間」に居場所をみつけているのかもしれません。

 

・参照文献

岡原正幸

 2012 「制度化された愛情――脱家族とは」『生の技法[第3版]――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』pp.119-157、生活書院。

柄谷行人

 2003 『倫理21』平凡社

木戸理恵

 2012 「支援者と当事者のあいだ」『支援』2:pp.65-71。

栗原康

 2015 『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』合同会社タバブックス。

古市憲寿

 2010 『希望難民御一行様――ピースボートと「承認の共同体」幻想』光文社。

山北輝祐

 2014 「野宿者の日常的包摂は可能か」『社会的包摂/排除の人類学――開発・難民・福祉』pp.200-215、昭和堂

山口昌男

 2000 『文化と両義性』岩波書店

 2002 『文化の詩学Ⅰ』岩波書店

 2004 『知の遠近法』岩波書店

 2007 『いじめの記号論岩波書店

pha

 2012 『ニートの歩き方――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』技術評論者。

 

自立の倫理を自分でつくる(1-2)――愛情から逃げよう

 ひとが社会の口出しから自由になりながら自立を目指すにはどうすればいいのか、ということについて考えるのがこのブログのテーマです。社会の口出しとは、政治学者の栗原康さんが「消費の美徳」[栗原 2015]と呼んだものであり、また哲学者の内田樹さんや社会学者の古市憲寿さんが批判的に検討した「自己決定フェティシズム」[内田 2009]や「あきらめさせてくれない社会」[古市 2010]のこととして、ここでは捉えてきました。

 そして、そうした社会の口出しがそもそも矛盾をはらんだものであることを、社会運動家フランコ・ベラルティの指摘から確認しました[ベラルティ 2010]。にもかかわらず、社会の口出しは権威をもった命令としての機能をもつため、夢を追い続けることがつらくなってしまった人や、ショッピングを謳歌できない人たちは、栗原さんの言葉を借りれば、「ひととしておわっている」[栗原 2015:220]とみなされてしまいます。「自己紹介」(2017/05/15)では、こうした矛盾しつつも権威をもってしまう命令から自由になるために、それを無視すること、目標を放棄し、今ここのことだけを考える、ということを述べました。また、「自立の倫理を自分でつくる(1-1)」(2017/06/26)で具体的な無視のしかたを、ベラルティの「ひきこもり」論や[ベラルティ 2010]、メルヴィルの「書記バートルビー」[メルヴィル 2015]から探ろうとしました。

 けれども、権威をもった命令を無視すること、つまり社会の口出しに従わないことの困難さは、メルヴィルの「書記バートルビー」やそれにまつわる評論からわかります。哲学者のジル・ドゥルーズは、バートルビーの雇用主である「私」に「良き父親」としての側面を見出す一方で、それが永遠のものではなく、やがて裏切られてしまうものであることを指摘します[ドゥルーズ 2002:164]。「私」に裏切られた結果、バートルビーは浮浪者になり、警察に捕まってしまい、最後には死んでしまいます。「良き父親」としての「私」がいなければ、バートルビーは生き残ることができなかったのです。

 バートルビーは、周りの言いつけに従わないことができるというそれ以前に、「良き父親」としての「私」から自由ではなかった、ということになります。ドゥルーズは、バートルビーは「民事上の不服従」のために死んだのだ、といいます[ドゥルーズ 2002:176]。社会の口出しから自由になって自立を目指すための倫理をつくることがこのブログの目的です。従わないことが直接死へとつながってしまうようなことは避けなければなりません。

 ドゥルーズは、「書記バートルビー」について言及する中で、「私」がバートルビーに対して働きかけていたような「父親的機能」を繰り返し批判しています。

 そしてバートルビーも、代訴人にたいして、わずかの信頼以外に何を求めたというのだろう、それなのに代訴人は、慈悲で、博愛で、父親的機能のあらゆる仮面で応えてしまったのだ[ドゥルーズ 2002:172]。

 しかし、あとで詳しく述べますが、このブログでは「良き父親」としての「私」の裏切りを批判的に捉えることが少し難しい事情があります。バートルビーが「私」から自由ではなかったように、「私」もまたバートルビーから自由になれなかったのではないでしょうか。「私」がバートルビーを裏切らざるを得なかった理由を、いまの日本の社会的な状況と照らして考えてみようと思います。

 批評家の柄谷行人さんは、こうしたお互いを縛り付けてしまうような親子関係を、日本に特有の家父長制としてみています。

 むしろ日本の家父長制においては、たしかに親は子供を拘束しますが、その前に親がまず子供に拘束されており、そういう相互的規制の中にあると思うのです。なぜなら、子供が何か起こすと必ず親の責任が問われるという構造になっているからです。一見すると親は権力を持って威張っているけれども、親の方が実は子供のことでびくびくしている。その意味で、いつも子供の犠牲になっている。そのためにまた子供を拘束してしまう、ということじゃないかと思うのです[柄谷 2003:26-27]。

 日本の家父長制のなかにあって、親は子どものなににびくびくしているというのでしょうか。柄谷さんは次のように続けます。

 日本的な家父長制と闘うことには、たんに子供が親と闘うということではすまない。親も子も共に強いている或る力と闘わねばならない。(…)それは、先ほどからいっている「世間」です。「世間」は、家族だけでなく、会社やあらゆる組織にも作用します。(…)一方、「世間」と闘うのが難しいのは、それが気まぐれで、正体がはっきりしないからです[柄谷 2003:30-31]。

 ここで柄谷さんが言及している「世間」については、また別のエントリーで考えたいと思います。まずは、この「世間」と呼ばれるものによって親と子どもがお互いから自由になることができないということを確認したいと思います。

 私が最初に「親の責任」という問題について考えたのは、一九七二年、連合赤軍事件が起こったときです。その時、赤軍の人たちの親が「世間」――とでも呼ぶほかない不特定の社会的圧力――から責めたてられて仕事を辞めたりしていたわけですが、その中の一人の親が自殺したのです。むろん、周囲やマスメディアに攻撃されたからです[柄谷 2003:18]。

 柄谷さんは、「世間」というのは正体がはっきりわからない、気まぐれなものだと言っています[柄谷 2003:31]。それでも、「世間」はある特定の親子を攻撃してしまう社会的な圧力を持ってしまうのです[柄谷 2003:18]。

 「良き父親」としての「私」も、「バートルビー」に関する周りの「無遠慮で無慈悲な意見」や「軽量な心」[メルヴィル 2015:78]に頭を悩ませていました。そして、「良き父親」としての「私」の裏切りも、これが原因です*1

 そうすると、社会の口出しから自由でありながら自立を目指すことの困難さは、この「世間」によって親子関係が膠着してしまうことの困難さとも繋がってきます。親が「世間」にとらわれてしまうとき、子どももまたその規制を引き受けてしまうからです。これについて、たとえばどのような事態が想定できるでしょうか。

 親から自由でないために子どもが受けてしまう規制のひとつに恋愛と結婚があります。栗原さんは、結婚を前提に付き合っていた彼女と別れるまでを次のように振り返っています。

 はじめから雲ゆきはあやしかった。まず、かの女のお父さんと妹さんが反対する。そんなやつはやめておけ、定職についてないやつなんて男じゃないと。直接いわれたわけではないが、かの女がなんどもそうつぶやいていた。つぎはかの女の同僚だ。(…)「三◯歳をこえて夢追い人みたいなことはやめましょうよ。現実をみつめてください。この時点で大学教授になれていないのって、才能がないということなんじゃないですか。はやく足をあらって、身をかためましょう」。きっとかの女に頼まれたのだろう[栗原 2015:34]。

 これまで確認したことをふまえると、栗原さんの彼女の父親も、「世間」から自由でないために自分の娘の結婚に口を出さざるを得ないというふうにも理解できます。また、彼女も「世間」とは対立せず、同僚と協力して栗原さんを説得しようと試みています。しかし栗原さんは「世間」との対立を避けようとはしないので、彼女から次のように言われてしまいます。

 鬼みたいな罵声がとぶ。「あまえてんじゃねえよ。だいたい、おまえみたいなのをあまやかして育てた親が悪いんだ。人間としておわっている。死ねばいいのに」。それ以来、わたしはかの女とちゃんとはなすことをやめた[栗原 2015:40]。

 ここも柄谷さんのいう「世間」と重なります。「世間」との対立を避けようとしない立場は栗原さん自身のものなのにもかかわらず、別れた原因は育てた親にある、というのが彼女の言い分になっています。

 これまでのことを整理すれば、柄谷さんのいうような「世間」の社会的な圧力は、抗いがたい社会の口出しの発信源でもあり、親子関係を膠着させるものでもあります。

 そうすると、自立の倫理を自分でつくるために必要なのは、社会の口出しを無視するだけでは叶いません。バートルビーのように不服従のために死んでしまうような事態をさけるためには、同時に「良き父親」との対立を乗り越え、裏切りを回避する必要もあります。どうすればいいのでしょうか。

 ここでは、柄谷さんが指摘した「世間」がどういうものか、ということは考えません。その代わりに、この「世間」に翻弄されてしまう親子の問題を、別の切り口から捉えてみようと思います。それは、親子をめぐる愛情についてです。

 「書記バートルビー」に関するドゥルーズの評論で確認したように、雇用主である「私」はバートルビーを愛情によって受け止め、その維持が困難になってしまったために裏切りました。無理のある愛情が裏切りに向かうのは、決して不自然な結末ではありません。ドゥルーズによれば、バートルビーが「私」に求めたのはわずかな信頼であり、愛情ではなかったのです[ドゥルーズ 2002:172]。このずれによって、「私」はバートルビーを裏切らざるをえなくなり、バートルビーは不服従によって死ななければなりませんでした。

 そこで、どうして「私」がバートルビーを裏切ってしまったのか、という「世間」についての問いとは別に、まずはどうして「私」が信頼ではなく愛情でバートルビーに応えなければならなかったのか、という問いを立てて、考えてみようと思います。

 社会学者の岡原正幸さんは、親が子どもを囲い込んでしまう状況を、家族の愛情が規範化したことによるものだと指摘しています[岡原 2012]。

 つまり、それまで伝統的規範が統御していた諸々の行為(あるいは、それらの行動を含む場としての状況)が、「愛情」と関連付けられて、主題化され、解釈され、ひとつの秩序ある出来事として認識される。「愛するから当然……する」「……するのは愛しているからだ」という具合に言説化し、人々は行為や状況を「愛情化」するのである。昨今、恋愛と結婚は別だという主張が聞かれるが、結婚には愛情がいらないということではない。恋愛も結婚も「愛情」が、質的に異なるとはいえ、ともに必要だとされる点では一致して近代的であるといえよう。(…)だが想像してみよう。「別に愛していないけど、あなたと結婚する」「愛してないけど、子供を育てている」などといったら、どうなるかを。こぞって糾弾され、白い目を向けられ、「それでも人間なのか」と詰問されるだろう。(…)

 ということは、私達は、愛ぬきで自然に家族を運営できるわけではないのだ。愛情を感じつつ、それゆえ自然で自由だと意識しつつ、家族を作り営むことを社会的に要請されているのである。この点が大事だ。つまり、ある社会状況では、愛情を経験することが社会的に要請され、愛情を経験しないことは逸脱として制裁を受けるのである。このことをここでは愛情の規範化と呼ぼう[岡原 2012:136-137]。

 こうしたことが「書記バートルビー」では、「私」の「良心」として表れてきます。この「良心」は、「私」がバートルビーを受け止めるときと裏切るときの両方に登場します。そこには、岡原さんが指摘しているような「愛するから当然……する」こと[岡原 2012:136]や、「愛情を感じつつ、それゆえ自然で自由だと意識」[岡原 2012:137]しているような「私」の姿が描かれています。

 私は思いました。彼に悪意はないのだ。(…)もし彼を解雇すれば、もっと厳しい雇い主に出会って、手荒に扱われ、もしかしたら追い出された上に、惨めに飢え死にしてしまうかもしれない。そうなんだ、ここで私はおいしい自己称賛の気持ちを安く手に入れることができるのだ。友人としてバートルビーの世話を焼いてやること、彼の奇妙なわがままを聞いてやること。そうだ、そうしたところで私は、ほとんど、あるいはまったく金を払わなくてもよいのだ。しかもその一方で、心の中に、いつかは良心にとって甘美な喜びとなるものを蓄えておくことになる[メルヴィル 2015:40]。

 次は、「私」がバートルビーに対して裏切りを考える場面です。

 良心は、あの男、というよりあの幽霊に対してどうしたらいいと言うだろう? どんなことがあっても、私はあの男を自分から取り除かなくてはならないのだ。出て行かせよう、だが、どうやってだ? お前はあいつ、あの哀れで青白い顔をした受け身の人間を追い出したりなんぞできないよな? お前はあんなに困っている存在をドアから叩き出したりしないよな? そんな残酷なことをして自分の名誉を傷つけたりはしないよな? ――そうなのです。私はそんなことはしないし、できないのです[メルヴィル 2015:81]。

 重要だと思うのは、「私」がバートルビーを受け止めるときも裏切るときも、その判断の軸になったのは「自己称賛の気持ち」や「名誉」であるという点です。人が規範化された愛情にとらわれてしまうとき、とらわれた本人が発揮するのはかならずしも愛情ではありません。岡原さんの指摘[岡原 2012:136-137]をふまえれば、それは規範そのものから逸脱し、制裁を受けてしまうことを避けるための良心の呵責のようなものでしょう。

 ただしここで、あらゆる人々の愛情は規範化されていて、裏切りの可能性をはらんでいる、ということをいいたいわけではありません。問題なのは、バートルビーと「私」のように愛情を必要としない関係に愛情が持ち込まれた結果、裏切られてしまうような結末です。あらゆる関係を愛情で結ぶ必要はないのです。「書記バートルビー」からあきらかなように、愛情には限界があるからです。それがたとえ親子の関係であったとしても、愛情の限界を自覚し、いたずらに人へ向けないこと、それが裏切りを回避するために重要なことだと考えています。

 これまでのことを整理すると、規範化された愛情は裏切りの可能性をはらんでいます。「書記バートルビー」の「私」はそのことに無自覚であり、バートルビーはそんな「私」から自由ではありませんでした。そしてこうした相互的規制が働いてしまう関係は、日本に特有の家父長制としてみることができる、ということを、柄谷さんの指摘から確認しました。

 岡原さんも、親が子どもを囲い込んでしまうような家族は日本特有のものだと指摘していて、また、西欧社会には愛情規範とは別の規範がある、といっています。それは「子供に愛情を注ぎ細部に至るまで配慮し、家族にの中に囲い込んでしまう動きに対して、子供を家族から離れた外の世界へ押し出そうという動き」であり、「一人前の独立した人格として子供を認め、その主体性と責任の下に判断し行為する自由を与えるべきだ、という規範的意識」[岡原 2012:139]です。そして、西欧社会にあって日本にないものを、「愛情規範に対抗する独立への圧力」[岡原 2012:140]であるとまとめています。

 そうすると、子どもは親から離れた方がいい、ということになります。けれど、今すぐにそうするのが難しい場合もあります。例えばわたしは、フリーターで所得も低いので、親元を離れて生活をすることに自信が持てません。

 このエントリーでは最後に、ニートでありながらシェアハウスを立ち上げて、親元を離れて生活をしているphaさんの『ニートの歩き方』[pha 2012]を読んで、社会の口出しや規範化された家族の愛情から身を離して生きるにはどうすればいいのかについて考えてみようと思います。

 『ニートの歩き方』によれば、phaさんは大学を卒業後に3年間会社勤めをしています。けれど、その後退職して、ニートになりました。そのときのことを、phaさんは次のように振り返っています。

 嘘みたいに恵まれた職場だったと思うんだけど、それでも僕には苦痛だった。仕事をしなくていいといっても、毎朝決まった時間に起きて通勤ラッシュの時間帯に電車に乗って通勤しないといけないし、仕事はなくても一日八時間くらい椅子に座っていないといけない。別に仲が良いわけでもない職場の人と顔を合わせたり喋ったりするのもだるかった。(…)

 こんな人生は嫌だ。こんな状態で生きてても死んでるのと変わらない。何か他にもっと楽しく生きる方法があるはずだ。どこか別の場所に行きたい。なんでこんなにも文明は発達しているのに人間は働かないといけないんだろう。でもみんなそれをやっているということはそういうものなのか。それが人生なのか。いや、そんなことないだろう。何かあるはずだ。もしかしてないのか。ずっとこれが続くのか。

 そんな風に悩んでいるときに出会ったのがインターネットだった[pha 2012:37-40]。

 phaさんのこうした働くことや、人間関係に関する考え方は、退職後のシェアハウスの立ち上げに大きく関わっているといえます。phaさんは自分が生きるための「ちょうどいい場所」を、自分でつくってしまいます。

 交流がないと寂しいんだけどずっと交流しっ放しで喋りっ放しというのも苦手で、そんなに喋らないけどなんとなく適度な距離に人がいる、という昔いた寮のような雰囲気がいいんだけど、そういうちょうどいい場所があまりなくて、それならば自分で作ろうと思い立ったのが、「パソコンとかインターネットとかが好きな人が集まってもくもくとインターネットをする」というコンセプトの「ギークハウス」というシェアハウスだ[pha 2012:113-114]。

  こうした「ギークハウス」をはじめとしたシェアハウスは、近年全国的に増えてきているとphaさんはいいます。

 最近全国的にシェアハウスが増えていて、雑誌やテレビでも取り上げられることが多くなってきた。シェアハウスが増えている原因は、不況でお金がない若者が増えているっていう現実的で身も蓋もない理由も大きいんだけど、家族とかライフスタイルに対する考え方が少しずつ変化しているというのもあるだろう。

 家のあり方というのは常に移り変わっている。賃貸より持ち家が望ましいという考え方だとか、夫が働いて妻が家で専業主婦をするというモデルだとかも、戦後あたりから広がった考え方にすぎない。(…)

 そして今新しく、家族じゃない人同士が一緒に住むシェアハウスが増えている。それは新しい家族の形態と言ってもいいんじゃないだろうか。シェアハウスで子どもを産んだり育てたりする人がいても面白いと思う[pha 2012:121-122]。

 シェアハウスでの生活は、「新しい家族の形態」だ、とphaさんはいいます。そしてシェアハウスでの生活は、これからみていくように規範化された愛情からは離れたところで営まれているのです。

 人とのつながりを維持していればいろいろなんとかなるかもしれないということを考えて、インターネット上で知り合いを増やしたりシェアハウスを作ったりしているというのはある。

 多くの人は老後に備えるために、結婚したり子供を作ったりして家族のつながりを作っているのかもしれない。で、僕はそれを友達や知り合いやシェアハウスでやっているのかもしれない。でも友達は家族ほど強い結びつきじゃないし、自分が入院したときにネットの知り合いやシェアハウスの住人が助けてくれるかどうかは分からない。けれど僕はあまり家族を作る気にならないから仕方ない。家族って、なんか閉じた感じがして好きじゃない。

 僕は血縁にこだわる意識がよく分かんなくて、家族や親戚よりも友達のほうが大事だと思っている。家族や親戚は自分で選んだわけじゃないから気が合わなかったり好きじゃない人間でもつながりを切ることができないけれど、友達だったら誰と付き合うかを選ぶことができる[pha 2012:275]。

 phaさんは、「家族ってなんか閉じた感じがして好きじゃない」[pha 2012:275]といいます。そして、「交流がないと寂しいんだけどずっと交流しっ放しで喋りっ放しというのも苦手で、そんなに喋らないけどなんとなく適度な距離に人がいる」[pha 2012:113]のを好みます。緊密で強いつながりを持った関係を回避し、選択可能な環境下でゆるやかにつながること、それがphaさんの生き方や「ギークハウス」での暮らしに表れています。ここには少なくとも、信頼と愛情を取り違えてしまう「私」とバートルビーのような関係はないでしょう。血縁にこだわらず、適度な距離に人がいるシェアハウスのような場所に生きること、それは社会の口出しや規範化された家族の愛情から身を離す一つの手段になりうると思います。

 けれども、phaさんは一方で、「でも友達は家族ほど強い結びつきじゃないし、自分が入院したときにネットの知り合いやシェアハウスの住人が助けてくれるかどうかは分からない。けれど僕はあまり家族を作る気にならないから仕方ない」[pha 2012:275]ともいっています。自分が入院してしまうような事態に見舞われたとき、孤立を回避できないのは、このブログで大切にしていることとは少し違います。孤立を「仕方ない」とするのも一つの考え方なら、「いやだ、誰かにそばにいてほしい」というのが、ここでの考え方です。

 人間関係をめぐって、つながることとつながらないことが人によってどのように選択されうるのか、それも自立の倫理を自分でつくるための、大切なテーマです。

 

・参照文献

内田樹

 2009 『下流志向』講談社

岡原正幸

 2012 「制度化された愛情――脱家族とは」『生の技法[第3版]――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』pp.119-157、生活書院。

柄谷行人

 2003 『倫理21』平凡社

栗原康

 2015 『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』合同会社タバブックス。

ドゥルーズ、ジル

 2002 『批評と臨床』守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社

古市憲寿

 2010 『希望難民御一行様――ピースボートと「承認の共同体」幻想』光文社。

ベラルティ、フランコ

 2010 『NO FUTURE――イタリア・アウトノミア運動史』廣瀬純・北川眞也訳、洛北出版。

メルヴィル、ハーマン

 2015 『バートルビー/漂流舟』牧野有通訳、光文社。

pha

 2012 『ニートの歩き方――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』技術評論社

 

*1:「ただ、私の事務所を訪れる仕事仲間が、私に無遠慮で無慈悲な意見をあからさまに言ったりすることがなかったら、きっと私もこの賢明で神聖な考え方を抱き続けたことと思います。ですが、彼らのような狭量な心と頻繁に摩擦を起こし続けるようなことが生ずると、いかに寛大な心が下した最良の決定であっても、ついには擦り切れてしまうというのはよくあることです」[メルヴィル 2015:78-79]

自立の倫理を自分でつくる(1-1) ――ベラルティがみた「ひきこもり」と、バートルビーの生き方から

 このブログは、人が自立できていない状態のなかで自尊心を守るための足場をどのようにつくればいいのか、ということについて、読書を通じて考えることを目的にしています。今回のエントリーからこのことを具体的に考えていくために、ブログのテーマを「自立の倫理を自分でつくる」というものにしたいと思います。

 今の社会は、「自分のことを自分で決める」ということについての価値観が錯綜しています。そして自分が決めたことについての責任は、それがたとえ社会によって推奨され、促されたものであったとしても、すべて自分が負わなければいけません。こうした矛盾を、哲学者の内田樹さんは「自己決定フェティシズム」と呼び[内田 2009]、社会学者の古市憲寿さんは、「あきらめさせてくれない社会」と呼びました[古市 2010]。

 そして、この錯綜した価値観に翻弄されるとき、わたしたちの自尊心は危険にさらされます。政治学者の栗原康さんは、非正規雇用が拡大してきた社会的な背景と自己責任論との関係を通して、人は自分で決めたことが何かよくない結果に結びついてしまったとき、世間から倫理的な非難にさらされてしまう、と指摘しています[栗原 2015:212]。

 どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか。「自分のことを自分で決める」はずなのに、その価値観が錯綜してしまうのは、なぜでしょうか。価値観が錯綜してしまうということは、それはひとつではありません。ほんとうに「自分のことを自分で決める」ことが可能なら、自分以外の価値判断に翻弄されることはないでしょう。つまり、わたしたちの社会は、誰かの生き方や価値観に、たえず口出しをしていることになります。このような事態を、栗原さんは次のように指摘しています。

 かせいだカネで家族をやしないましょう、よりよい家庭をきずきましょう、家をたてましょう、車をもちましょう、おしゃれな服をきて、ショッピングモールでもどこでもでかけましょうと。これがやばいのは、そうすることが自己実現というか、そのひとの人格や個性を発揮することであるかのように言われていることだ。

 (…)この消費の美徳にあらがうのは容易ではない。ひととしておわってるとみなされた者たちにたいして、この社会は本当にきびしいのだから。(…)ここまでくると、生の負債化はとてつもなく強大だ。(…)みんなこれだけ仕事がなくなっているからこそ、よりよい仕事を探すためにやっきになって、結婚をしたり、家を買おうとしているんだ、それなのにそういう生き方をのぞまないというのはどういうことだ。ひととしておわっている。死ねばいいのにと[栗原 2015:220-221]。

 「自分のことを自分で決める」というとき、そこにはすでに自分以外のなにかによる価値観がたえず侵入している、ということになります。「自己決定フェティシズム」や「あきらめさせてくれない社会」によって危険にさらされた自尊心を守るためには、人が自分で決めたことに対して、その結果をよしあしで判断してしまうような社会の価値観から、まずは自由になる必要があるでしょう。

 これは、人が自立を目指す場合も同じです。それは自分自身の内面的な問題のようで、そこにはつねに社会の価値観が侵入しています。そこから自由になるためには、どうすればいいのでしょうか。

 その手掛かりとなりそうなのが、イタリアのアウトノミア運動で中心的な役割を果たしたフランコ・ベラルティという人の指摘です。彼は「無垢」という考え方を持ち出して、日本のひきこもりについて次のように言及しています。

 今日、私はひきこもりという社会現象の中に、「無垢」という言葉で定義できる振る舞いを認めています。ひきこもりとは、拒否なのです。従属の回路、つまり悪を生み出し、悪を日常の中に循環させる回路を、シニシズムと従属性へと陥る回路を拒否することなのです。

 ひきこもりをめぐる日本の経験のなかには、何よりもまず、孤独や苦悩のような形で表現される自律性への欲求が働いていると思います。ひきこもりとは、離脱という世界規模で起こる運動の一つの前衛です。彼らは、資本主義に蔓延する競争や攻撃のシステムとの関係を断ち切る人を決めた人たちです。ひきこもりは、孤独ではありますが、自律的に閉じこもって生きることを決めている人たちなのです[ベラルティ 2010:265]。

 この「無垢」について、ベラルティは「たとえ悪のただなかに生きていても『罪がない』ということ、悪の性質を帯びていないということです。ある意味では、『無垢』は自律性を意味していると言えるでしょう。すなわち資本の世界にのしかかっているものからの、独立性を意味するということです」[ベラルティ 2010:264]と説明しています。資本の世界にのしかかっているものとは、さきほど引用した栗原さんの「消費の美徳」[栗原 2015:220]のようなものだとみて差し支えないでしょう。そうしたものから自分自身を切り離すことができる、その一例として、ベラルティは日本のひきこもりをみています。ここでの問題意識でいいかえれば、「無垢」が可能にする自律や独立とは、人が自立を目指すときに、社会の口出しから自由になるということです。ひきこもりはその一例ですが、それ以外の別のやり方を模索する必要もあるでしょう。ひきこもりになること以外に、わたしたちの「無垢」を可能にするものはなんでしょうか。

 ベラルティは、ひきこもりについて「長期にわたって、自分の部屋という空間に過剰なまでに接続されて、恒常的な隔絶状態で生きている人たちのことです。他の人たちと出会うために外に出ることはありませんし、町にくり出すため、仕事にいくために外に出ることもありません。彼らは親から食事を受け取るのですが、一般的には親との関係もありません」[ベラルティ 2010:263]と言っています。そしてそこから、孤独ではあるが「無垢」である、ということを示しています。

 この孤独について、ここで考えてみようと思います。外に出ず、親との関係を絶ったままでしか、「無垢」は獲得できないのか、というのがここでの問いになります。そしておそらく、そんなことはないだろう、とわたしは思います。そのことを説明するために、アメリカの作家であるハーマン・メルヴィルが書いた、「書記バートルビー」[メルヴィル 2015]という小説を参照してみたいと思います。

 この小説は、法律事務所を営む「私」が、バートルビーという青年について語る、というものです。バートルビーは、「私」によってある日雇われて事務所にやってくるのですが、彼はある決まり文句によって、周りの人を困惑させてしまいます。

 その決まり文句というのが、「わたくしはしない方がいいと思います」というものです。バートルビーは、最初は筆写の仕事を「異常なほどの分量」[メルヴィル 2015:29]こなすものの、雇用主の「私」がなにか筆写以外の他の用事を言いつけようとすると、この決まり文句によって一切を拒否してしまいます。「私」もバートルビーの決まり文句にはなぜか抗えず、やがてなにもせずに事務所に居座るバートルビーを前になにもできなくなってしまいます。苛立った同僚が、バートルビーに暴力で訴えようとする場面もありますが[メルヴィル 2015:29]、彼らの思い通りにはなりません。バートルビーは決まって、「わたくしはしない方がいいと思います」といってあらゆる周りの言いつけを拒否します。

 この作品について、多くの評論が書かれました。例えば批評家の杉田俊介さんは次のように書いています。

 バートルビーエニグマ(謎)は言葉の謎、他人の言葉を無限に脱臼/骨折させてしまう言葉の謎にある。「私」や職場の同僚たちは、自分からは、傍若無人バートルビーとの関係を断ち切れない。(…)ではみんな、本当はバートルビーが好きなのか。違う。好きになれるはずがないのだ[杉田 2008:67-68]。

 杉田さんの指摘で面白いと思うのは、バートルビーについての周囲の印象を、好きか嫌いかという部分で示していることです。そしてはっきりと、好きになれるはずがない、と述べます。けれども、それでもバートルビーを好きになろうとした人がいます。それが「私」です。そして「私」は、自身の価値観によって思い通りにならないバートルビーと向き合い続けます。わたしは、この「私」の葛藤は、あるきまった価値観によってなにかに影響を与えたい立場、つまり社会の口出しと、自分のものではない価値観に翻弄されない立場、つまり「無垢」との違いを示唆していると考えています。そして最終的に、バートルビーは死によって「無垢」を自らの生き方に一貫させます。バートルビーが死に向かうまで、彼はたえず周囲の人たちを困惑させ続けます。「私」をはじめとした登場人物たちが彼の影響を受け、彼について言及します。杉田さんが指摘しているように、「『私』や職場の同僚たちは、自分からは、傍若無人バートルビーとの関係を断ち切れない」のです[杉田 2008:67]。この意味で、彼は孤立しているわけではありません。これを、わたしたちが「無垢」を可能にするための手掛かりとしたいと思います。

 「私」は、バートルビーが決まり文句によって仕事の言いつけを拒否する、その性質に気が付いた後、彼を事務所でどのように受け入れればいいのかについて考えます。それはやがて、神が与えた運命であると「私」は感じるようになります。

 あの書記に関わるこれらの面倒ごとは、すべて永遠の昔から自分に運命付けられているということ、そして全知の神の不可測な目的、私のようなただの人間が推し量ることのできない目的のために、バートルビーは私に与えられたのだ、と次第に確信するようになっていったのです。(…)私は神が予め運命付けた自分の人生の目的を理解し、満足しました。ほかの者たちにはもっと重要な役目が与えられたかもしれません。でも、私のこの世での使命は、バートルビー、君がとどまりたいと思う期間だけ、君に事務所の部屋を提供してやることだ、と悟ったのです[メルヴィル 2015:78]。

 「私」はバートルビーに対して、なにもせず、事務所にいるだけであることを認め、そのままでいい、と悟ります。けれどもこの悟りも、やがて揺らぎ始め、「私」は、どうすればバートルビーを事務所から追い出せるのかについて考えをめぐらせます。

 それなら、なにか容赦のないこと、なにか普通ではないことが実行されなければならない。何だって! まさか警察に彼を捕らえさせて、あの罪もない青白い顔の男を刑務所へ送り込もうっていうんじゃないだろうな。もしそうなら、どんな根拠でそんなことができるというんだ? 彼が浮浪者だというのか? おいおい、本当にあいつが浮浪者や放浪者だなんていえるのか、動くことを拒んでいるというあの男がだぞ。それじゃまるで本来浮浪者でないことが理由で、浮浪者だとみなすことになるじゃないか。そいつは論理がおかしすぎる。それじゃこれはどうだ、目に見える生計の手段を持っていないこと、これがあいつの弱点でもあるし、これを理由にするか? ダメ、これもダメだ。なぜなら、疑う余地なくあいつは自立しているからだ。なぜって、彼が生活の手段を持っているということは、周知の事実だからだ。よしそれなら、もはやこれまでだ。あいつが私の許を離れないというのなら、私の方が彼の許を離れるしかない。事務所を変えるのだ。どこかよそへ引っ越そう。そして、もし新しい事務所で彼を見かけたら、断固として不法侵入者として訴えるぞと警告しよう[メルヴィル 2015:82-83]。

 しかし「私」は、バートルビーをどうしても追い出すことができません。彼には罪がないし、浮浪者でもないし、自立している(!)からです。そうして「私」は、先に引用したような悟りを捨て、バートルビーと自分を切り離すために事務所を引っ越します。あとにはバートルビーが一人残され、彼はやがて浮浪者扱いされて警察に捕まってしまいます。

 この「私」の変化について、哲学者のジル・ドゥルーズは次のような指摘をしています。

 よき父親、思いやりのある父親(…)であるように思われる。(…)父親の仮面の下に、彼らは二重の同一性とでもいったものを秘めている。すなわち、真の愛を体験するための、無垢な人との同一化の一方で、愛する無垢な人との協定を自分なりに破るからには、悪魔との同一化も行われるのだ。要するに裏切るわけだが、(…)彼らは、無垢な人間を断罪しておきながら、いとおしみつづける。(…)みずからの語りを締めくくる代訴人の言葉は、「ああ、バートルビー! ああ、人間!」というもので、それらは密接なつながりではなく、二者択一を示していて、代訴人はバートルビーに背き、あまりにも人間的な法の側を選ばなければならなかったのである[ドゥルーズ 2002:164-165]。

 一度は神の運命さえ感じた「私」が、「人間的な法の側」に引き込まれたことで、バートルビーは事務所の跡地に一人残され、浮浪者となり、警察に捕まってしまいます。重要なのは、「私」がバートルビーを通して真の愛を感じていたにもかかわらず、「人間的な法の側」を選ばなければならなかった、ということでしょう。「私」でさえ、「人間的な法の側」、ここでの問題で言い換えれば、社会の口出しからは自由ではなかった、ということになります。*1

 周囲を困惑させながらも、関係性を維持し続ける、不思議な引力を生み出し続けることによって、バートルビーは孤立を回避しています。そうすることで、バートルビーは社会の口出しから自由になり、「無垢」であり続けることの一歩前まで、いつづけることができました。*2そうしたことを通して、今回のエントリーでは、ブログのテーマの問いがどこにあるのか、というところまで書くことができました。人が「無垢」を獲得するために、あともう一歩進むにはどうすればいいのか、考えていこうと思います。

 

・参照文献

内田樹

 2009 『下流志向』講談社

栗原康

 2015 『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』合同会社タバブックス。

杉田俊介

 2008 『無能力批評』大月書店。

ドゥルーズ、ジル

 2002 『批評と臨床』守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社

古市憲寿

 2010 『希望難民御一行様――ピースボートと「承認の共同体」幻想』光文社。

ベラルティ、フランコ

 2010 『NO FUTURE――イタリア・アウトノミア運動史』廣瀬純・北川眞也訳、洛北出版。

メルヴィル、ハーマン

 2015 『バートルビー/漂流舟』牧野有通訳、光文社。

 

 

 

 

*1:「ただ、私の事務所を訪れる仕事仲間が、私に無遠慮で無慈悲な意見をあからさまに言ったりすることがなかったら、きっと私もこの賢明で神聖な考え方を抱き続けたことと思います。ですが、彼らのような狭量な心と頻繁に摩擦を起こし続けるようなことが生ずると、いかに寛大な心が下した最良の決定であっても、ついには擦り切れてしまうというのはよくあることです」[メルヴィル 2015:78-79]。

*2:もちろんそれは、ドゥルーズの言葉を借りれば、「私」によって裏切られたために中断してしまいます。けれど、それまでの「無垢」を可能にしていたのは、周りの人たちから与えられる言いつけと、それをつねに無効にしてしまうバートルビーの決まり文句とのあいだにあるコミュニケーションでした。ドゥルーズは、バートルビーはこの決まり文句によって、生き残る権利を得たのだ、と指摘しています。周りの人たちとの関係性から獲得できたであろうこの権利は、孤立による「無垢」とは区別できると思います。「バートルビーは生き残る権利を得た。すなわち、めくら壁を前にして立ち、身動きせずにいるという権利だ。(…)存在としてあり、それ以上のものはなにひとつない。(…)照らし合わせの行為をせずにすますことを好み、それとともに、筆写を好むこともせずにすますのが、生き残りの方法なのだ。一方を不可能にするためには、もう一方も忌避せねばならなかったわけである。決まり文句は二段階で作動し、たえず自らを装填しつづけ、同じ状態を何度もくぐり抜ける。だからこそ代訴人は、すべてが零からやりなおしになるかのような感じをその都度いだき、めくるめく思いをするのである」[ドゥルーズ 2002:148-149]。