自立の倫理は、自分でつくる

自立ってなんだろう、というのを自分の力で言葉にできるようにはじめました。

自立の倫理を自分でつくる(2-1)――「世間」に「異和感」を侵入させよう

 

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 「自立の倫理を自分でつくる(1)」では、いまの日本社会で自分のことを自分で決めることが難しい原因を「社会の口出し」に求めました。「社会の口出し」には、いくつかの具体的なものの言い方があります。例えば、たくさん稼いでたくさん使うことをよいことだと考える「消費の美徳」[栗原 2015]のことであったり、夢はあきらめない方がいい、やればできるという価値観[古市 2010]であったり、家族や恋人に向ける感情を勝手に仕立ててしまう「規範化された愛情」[岡原 2012]のことです。そのようにして、わたしたちの社会は、誰かがそうした価値観に疑問を抱いたとしても、「社会の口出し」に対してなにかを言い返すことが難しい状況にあります。こうした背景を捉える為に、「世間」というものを考察するのが、このブログの当面の目的です。

 そこで、「自立の倫理を自分でつくる(1-2)」(2017/08/13)では、批評家の柄谷行人さんの「世間」に関する指摘を参照しました。柄谷さんは「世間」を、「気まぐれで、正体がはっきりしない」[柄谷 2003:31]ものだとし、「不特定の社会的圧力」[柄谷 2003:18]をもつものだと述べました。

 この「世間」の「不特定の社会的圧力」[柄谷 2003:18]は、わたしたちに様々なことを強いています。そして、強いられていることのひとつひとつにだれかによる評価がつきまとっていて、そのよしあしは自分の思い通りにはなりません。ニートでありながらシェアハウスを立ち上げたphaさんは、『ニートの歩き方』[pha 2012]という本のなかで、「世間」に強いられる生き方と自身の生き方について次のように述べています。

 みんなが当たり前にできているような、毎日決まった時間に起きるとか、他人と長時間会話するとか、大勢の人が集まっている場で適切に振る舞うとか、そういうことが自分はできないのはなぜなんだろう。努力が足りないとか、コツを知らないとかそういうことなのだろうか。十代、二十代の頃はずっとそんなことに悩んでいて試行錯誤を繰り返していた。(…)

 世間で模範的とされている生き方、例えば「ちゃんと学校に行ってちゃんと就職して真面目に働いて結婚して子供を作って育てる」みたいなのに違和感を覚えない人は別にそれでいいと思う。人はそれぞれ幸せになれる場所が違うし、そのルートで幸せに生きられる人はそこで生きたらいい。皮肉などではなく素直にそう思う。

 けれど、そういった世間で模範的とされている生き方にどうしても馴染めないし適応できなくて、「それって自分が悪いのかな」とか「自分の努力が足りないのかな」とか悩んでいる人に対しては、「別にどんな生き方でもなんとか生きられたらそれでいいんじゃないの。自殺したり人を殺したりしなきゃ」と言ってあげたい。それはその人が悪いのではなくその人と環境との相性が悪いだけだからだ[pha 2012:132-133]。

 phaさんがいうように、「世間」とは、わたしたちに「当たり前」という一つの模範的なあり方を示します。けれども、その模範の通りに生きることができないひともいます。問題なのは、この「当たり前」があることによって、そうではない別のあり方が悪いことだと見なされてしまうことでしょう。

 示された模範の通りにできないことによって、どうして「『それって自分が悪いのかな』とか『自分の努力が足りないのかな』」[pha 2012:133]と感じてしまうのでしょうか。文化人類学者の山口昌男さんは、そうした「当たり前」があることによってそうではない別のあり方が排除されてしまうしくみを、有徴と無徴という言葉を使って説明しています。

 そこら辺にあって当たり前だと思うもの、何とも思わないものは無徴です。日常生活のありふれた光景を構成しているものは、無徴の記号である。(…)

 集団には有徴の人間を特にマークする手段があって、ある種の人間を排除します。(…)

 都合が悪いことには、人間は、排除されるものを目に見えるようにしておいて、外側に置き、内側にいることによって自分のアイデンティティを保とうとする傾向があります。具体的に、「私は……ではない」ということによって、正常であることを間接的に強調し、安心するというところがあるわけです[山口 2007:48-50]。

 「世間」は模範を示すことによって、そうではない別のあり方をマークし、場合によっては排除します。これについて、例えば教育社会学者の貴戸理恵さんは、フリーター、ニート、ひきこもり、不登校の人たちは「『学校に行っていない』『職に就いていない』など、『~していない』というネガティブに記述された状態」[貴戸 2012:67]だと指摘しています。

 けれども、たとえ「世間」からよくない状態であるとみなされたとしても、「世間」に居場所をみつけることはできると考えるのが、このブログの立場です。これから具体的に二つの出来事を通して、このことについて考えてみようと思います。

 山口さんは「噂がひとを襲うとき」[山口 2004]というエッセイの中で、自身がインドネシアのフローレス島での調査中に婦女暴行未遂の容疑をかけられた話を紹介しています。

 九月(一九七五年)に入ったある日、私が滞在していた中部フローレスのある林に海岸の町から小型バスにゆられて戻る途中、隣に乗り合わせた紳士が、あなたは七月二十六日にどこにいたかというので、おかしなことを訊く奴だなと思って多少仏頂面しながら、「海岸の村々を毎日毎日歩いていたよ」といった。車からの降り際にその男は「いや有難う、自分は警察のものだ」と言い捨てた[山口 2004:41]。

 そうして山口さんは翌日、警察に取り調べを受けてしまいます。山口さんは日記として使っていた手帳を見ながら七月二十六日の自身の様子を警察に伝えますが、そのうちあることを思い出しました[山口 2004:41-42]。

 その日は大切な儀礼があるため、祭礼のある村に五時までに帰らなくてはならなかったので急ぎ足で歩いていると、向こうから薪を頭に乗っけてやって来た二人の娘が、五十メートルくらい先で私を見て、薪をパッと捨て、「きゃー」と叫んで逃げ出した。そこで私は「おーい、こわがることないじゃないか……。私は人間だ、日本人だ。悪魔なんかじゃない……」と叫んだのだが、娘たちは畑の中に隠れてしまった。それから百メートルくらい行くと、手に刀身六十センチくらいある抜身の刀を手にぶらさげた男が二人、こちらに向かってくる。私が「どうしたのだ」というと、「何でもない」と答える。「俺は人間だよ」といっても特に反応を示すことなく過ぎてしまった[山口 2004:42-43]。

 山口さんが後から知ったことによると、この日のあと、四、五十人の男たちが手に刀や槍などをもって「娘たちを襲った男」を探していたのだと言います[山口 2004:43]。そんななか、山口さんと知り合いの地域の神父さんが通りかかります。神父さんは山口さんが地域の人たちに容疑をかけられていると思い当たり、男たちを説得しますが、結局、山口さんは警察署に喚問を受けてしまいます[山口 2004:43]。

 こうした神父の説得があったにもかかわらず、この村の村長は、島の中央警察署に報告を送り、その結果、警察はスキャンダルの当事者として私を喚問することにしたというのが、岡っ引き風の刑事の説明したところである。「そんな馬鹿な」と抗弁したが、刑事は、とにかく中央警察署へ行って説明してくれたまえという。こうして私は婦女暴行未遂容疑者として、エンデという、昔スカルノが流されていた海岸の町の警察署に出頭せざるを得ない羽目に陥った[山口 2004:43-44]。

 どうして、山口さんの容疑はなかなか晴れなかったのでしょうか。山口さんはそれを、自身がインドネシアのフローレス島の人たちにとって異人だったからだといいます。

 とにかく、数十年前までの儀礼人狩り、半世紀前までの台風のように周期的に襲う群盗の作った『七人の侍』的雰囲気、政府の反共産主義キャンペーン等々といった、伝統と現代が交錯する恐怖の谷間に生きている人たちの中に、忽然と異人が立ち現れた時の素朴な反応が、この「暴行未遂事件」には顕著に読み取ることが出来る。警察当局も、異人に対して住民がパニック状態に陥る反応を示したことに深く満足したらしく思われた[山口 2004:44]。

 山口さんは、インドネシアのフローレス島の人たちにとって「当たり前」のものとは違う異人でした。そのために「婦女暴行未遂」の容疑までかけられてしまいましたが、注意しなくてはいけないのはその容疑を晴らすために地域の人たちを説得した神父さんのような人もいたということです。その人のことをよく理解し、そばにいてくれる誰かによって、「世間」にマークされることが直接排除とは結びつかないようになっているといえるでしょう。

 山口さんは、こうした「当たり前」からはみ出した、「当たり前」とは相容れないような性質のことを「違和感」と区別して「異和感」と呼んでいます。

 「違和」はもともと「からだの調和が破れること」という意味であり、転じて「他のものとしっくりしないこと。ちぐはぐ」(『広辞苑』)とされる。つまり、「違和」という語の原義は身体というミクロコスモスに関わるものであり、内部性の表現であったということになる。聖徳太子の十七条の憲法に「和をもって尊しとなす」という一節があるように、日本文化の中には「和」の理念の支配がある。先にも記したように「違」は内側に属するものの違いであるから「和」を前提としており、「違和」という語には同質なものの間の差異、内部における差異という意味が込められており、「違」と「和」両者の結びつきは自然であると考えられる。

 これに対して「異」は、本書で使っている別のキーワードである「異人」「異化」などに現れているように、外部性を表すものである。「和」は内部性の表現であるから、「異」「和」の組み合わせの「異和」は水と油の如く、一つの枠組みの中で表現されるはずのないものであった[山口 2000:v-vi]。

 「世間」がマークするものは、こうした「和」を前提としない「当たり前」とは異なる存在です。山口さんはそうした、「当たり前」の外側にあるものを捉える為に、「異和感」という言葉を使っています。山口さん自身が異人になることによって起きたこの出来事は、「当たり前」のものだけで満たされているようにみえる「世間」にも「異和感」の居場所があることを示しているように思います。

 もう一つは、社会学者の山北輝祐さんが調査中に出会った日本のある野宿者についての出来事です。

 私は二◯一一年に一回だけだが、ある地方の野宿者支援団体のおにぎり配りに参加した。(…)ある公園に着いて、その日はじめての野宿者に声をかけようとして近づいていったときだった。公園内の建物の軒先で、地面に座って雨宿りをしている一人の野宿者の背中の一部と濡れた布団が見えていた。彼の正面に回り始めると、目を疑う光景に見入ってしまった。髪と髭が伸びっぱなしの彼の隣には、二人の小学生の年ごろの女の子が毛布にくるまって、彼の布団の上に座っていた。(…)

 このおにぎり配りのコースに何年もまわっている支援者が教えてくれた。「あれは近所の子なんです」。私は耳を疑った。「いつもは男の子が来ているんですけどね」。私は子どもによる「野宿者襲撃事件」をよく耳にしていたため、子どもと野宿者は水と油の関係だと思うふしがあった[山北 2014:204-205]。

 山北さんがこの野宿者と子どもたちとの関係を通して感じ取ったのは、信頼関係でした。それはその野宿者と子どもたちとの間にあるものでもあり、その野宿者と地域との間にあるものでもありました。山北さんは、地域の人が時折自分の子どもをその野宿者にみてもらうこともあるという話を、支援者から聞きます[山北 2014:205]。

 山北さんはこの野宿者へのインタビューのなかで、「人間関係は興味を持つことだ」といわれます[山北 2014:209]。これをこのエントリーでは、これまでのことをふまえて、「人間関係は『異和感』に興味を持つことだ」といいかえてみようと思います。「世間」の「当たり前」は、こうした異和感を無視することによって成り立っていると考えるからです。このことについて、山口さんは次のようにいっています。

 そもそも皮相な意味での日常生活に生きる人間にとって、アイデンティティとは、一見不定形のもの・気味悪いもの・形のくずれたものの感染を絶えず防ぐことによって成り立っている。悪魔、敵、政治的弱者、叛徒、社会的弱者、不具、畸形、狂人、貧民、浮浪者、(特に伝染性のある病の)病人、こういったもろもろの、究極的にはエントロピーの完成としての死のメタファーを、快適な生活の視界からできるだけ遠ざけることによって、一人の「正常」な人間の安楽な、しかし弾力性の欠いた世界は成り立っている[山口 2002:248]。

 「世間」という世界は、こうした異和感を「目に見えるようにしておいて、外側に置」[山口 2007:50]くことで、「一人の『正常』な人間の安楽な、しかし弾力性の欠いた」[山口 2002:248]ものとして成り立っています。つまり「世間」とは、生きていても異和感を感じない世界のことだということができそうです。

 これに対してこのブログで大切だと思うのは、「世間」に溶け込まず、馴染まず、異和感を解消せずに堂々と「世間」に侵入していく生き方やあり方です。もちろん、それは「不特定の社会的な圧力」[柄谷 2003:18]に身をさらしていくことでもあります。けれども、インドネシアのフローレス島での山口さんも、山北さんが出会った野宿者も、この「世間」の圧力を甘んじて受けていたわけではありません。そこには、自分自身の生き方やあり方を周囲に納得させていく営みがありました。山口さんはそうした営みについて次のように述べています。

 人間は絶えず秩序の中で日常生活を送っていると共に、何らかの形で「落ちこぼれ」、「はみ出し」との対話を少しずつ、いろいろな場で持つことによって、自分を更に豊かにするという可能性を持っているのではないでしょうか。ですから、人間の持っている醜い分身を全部切り捨ててしまうということは、結局我々にとって非常に危険なことであり、むしろこうしたものと積極的なコミュニケーションの必要性とその在り方について、今や我々は新たな認識を確立すべきではないでしょうか[山口 2007:195]。

 日々の暮らしの中で異和感と出会うことは、わたしたちの生きているこの世界が「当たり前」だけでできていないのだということを教えてくれます。それに気がつくとき、わたしたちはすでに、自分の異和感を守りながら「世間」に居場所をみつけているのかもしれません。

 

・参照文献

岡原正幸

 2012 「制度化された愛情――脱家族とは」『生の技法[第3版]――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』pp.119-157、生活書院。

柄谷行人

 2003 『倫理21』平凡社

木戸理恵

 2012 「支援者と当事者のあいだ」『支援』2:pp.65-71。

栗原康

 2015 『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』合同会社タバブックス。

古市憲寿

 2010 『希望難民御一行様――ピースボートと「承認の共同体」幻想』光文社。

山北輝祐

 2014 「野宿者の日常的包摂は可能か」『社会的包摂/排除の人類学――開発・難民・福祉』pp.200-215、昭和堂。

山口昌男

 2000 『文化と両義性』岩波書店

 2002 『文化の詩学Ⅰ』岩波書店

 2004 『知の遠近法』岩波書店

 2007 『いじめの記号論岩波書店

pha

 2012 『ニートの歩き方――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』技術評論者。