自立の倫理は、自分でつくる

自立ってなんだろう、というのを自分の力で言葉にできるようにはじめました。

自立の倫理を自分でつくる(3)――「世間」にむけた、異和感を愛するという抵抗

 自立の倫理を自分でつくる(2-2)では、異和感がまとまることによって「世間」に亀裂[ホロウェイ 2011]をいれ、そこがたとえ一時的なものであったとしても異和感にとっての居場所になりうる、ということを述べました。異和感とは、一方的に排除されるだけではありません。たとえば、野宿者として公園にいざるをえない状況がいつのまにか子どもたちとの触れ合いを生むこともあるのです[山北 2014]。それがありふれた日常のなかのほんのひとときの出来事でも、異和感と出会うことは異和感にとっての居場所をつくります。

 けれども一方で注意しなくてはいけないのは、異和感が「世間」に居場所をつくるということは、わたしたちの暮らす世界を異和感だけで満たすこととは違うということです。なぜなら、同じもので満たされた世界こそが「世間」だからです。

 これまでこのブログでは、文化人類学者の山口昌男さんが「無徴」と呼んだものと「世間」を重ね合わせて捉えてきました。山口さんが同じもので満たされた「無徴」の世界として捉えたものの一つが、学校です。

 ですから、学校というものに集約された、あらゆる物を一緒にした均質な空間をつくろうとする社会のあり方をもう一度考え直すときに来ていると思うのです。ちょっとやそっとでは解決できないと思うわけですけれども、生きている社会を考え直すきっかけには、このいじめは重大な問題であるという感じがいたします[山口 2007:61-62]。

 山口さんは、「あらゆるものを一緒にした均質な空間をつくろう」[山口 2007:61]とした結果、いじめが生まれるのだといいます。世界を同じもので満たそうとすれば、そうではない別のものを排除せざるを得ないからです。

 学校の子供集団が、ほんのちょっとしたちがいを取り出すのもそういうところからです。(…)普通の子供とちがったしるし、たとえばどもる、太り過ぎ、やせ過ぎ、色白、色黒、運動神経が鈍くてのろまである。耳が小さかったりするといった、別になんということもないものを極端に拡大することによって有徴性を拡大していく。集団はそういう形で自分たちの防御の体制をつくる傾向があるのです[山口 2007:50]。

 異和感のために排除されているのだから異和感をなくそう、というものの考え方では、もう一つの別の「世間」を生むことにつながってしまいます。大切なのは、「世間」からはみ出しながら、自分や人の異和感異和感として受け止めることではないでしょうか。そしてそれは、異和感を排除すること、異和感によって排除されてしまうこととは違うはずです。

 どういうことでしょうか。MOSAIC.WAVが歌う、「片道きゃっちぼーる」の歌詞[柏森 2007]には次のようにあります。

ほにほに 羽根の 整わない

君の折り紙 貸してみせてよ

全部ひらいてみたら

ほんの小さなカドのほころび

ひとつだけ色の違うボタン

気に入らなくて捨ててしまったけど

大人になったときに

ズレた世界も愛しく思うよ[柏森 2007]

 異和感異和感でいられるのは、「片道きゃっちぼーる」[柏森 2007]で歌われているように、それが「全部」のなかの「ほんの小さなカドのほころび」であり、また「ひとつだけ色の違うボタン」[柏森 2007]だからです。それはときに、「気に入らなくて捨てて」[柏森 2007]しまうようなものかもしれません。けれども、わたしたちはそれと向き合うことで、愛することも可能なのです。

 また、ミュージシャンのStingが歌う「ENGLISHMAN IN NEW YORK」という曲には、ニューヨークに馴染まずに街を闊歩するイギリス人が登場します[Sting 2011]。Stingはそれをリーガルエイリアンと呼び、「Be yourself no matter what they say」[Sting 2011]と歌います。

 身近な世界に居場所がないということ、自分が暮らす街に馴染めないということは、たしかに居心地の悪いものかもしれません。けれども、それでも、Stingが歌うリーガルエイリアンはニューヨークの街中で自分らしくあろうとします。

 つまり、「世間」に居場所をつくるのは「世間」に馴染む「わたし」ではありません。それは、人から好かれる「わたし」ではなく、むしろ人から嫌われてしまった「わたし」であり、また「わたし」自身でさえ好きになれない「わたし」である、ということなのです。なぜでしょうか。

 それは、人から好かれる経験そのものが、「世間」においては「書記バートルビー」[メルヴィル 2015]のバートルビーのように、「規範化された愛情」[岡原 2012]を前提にしているからです。これについて、例えば哲学者のジュディス・バトラーの「私たちが愛において強要されているということは、ある意味で、なぜそのように愛するのか、なぜ決まって間違った判断を下してしまうのかを私たちがそれほど理解していない、ということだ」[バトラー 2008:191]という言葉が参考になります。「世間」の要求通りに人を愛するということは、異和感を愛することからわたしたちを遠ざけます。いいかえれば、「世間」は愛し方のよくわからないものとして、異和感を排除してきたのではないでしょうか。

 異和感と出会い、異和感と向き合うこと、それは日常のありふれた出来事のなかでつねに起こりうることです。けれども、それを愛すること、理解しようと努めることを、わたしたちはときに拒否し、排除しようとしてしまいます。その結果生まれた世界が「世間」だとすれば、わたしたちは、わたしたち自身のある欲望に抵抗しなければいけません。この欲望というのは、山口さんが述べているような、自分(アイデンティティ)を保つために自分ではない別のものを排除しようとする欲望です[山口 2007:50]。

 そしてその欲望に対する抵抗とは、次のようなものです。

 日常生活の世界は、私たちの身体をも含む、外的実在の世界である。これは私たちの推進力の発生する場であり、身体的行為の起こる場である。それは克服するのに努力を必要とする抵抗をもたらす。それは私たちに課題を与え、私に自分のプランを推進することを許し、私の目的に達しようとする努力を成功に導いたり失敗させたりする。私はこの世界を他者と共有する。他者と私は共通の目的や手段を持つ。こうした生活世界の中で最も中心的な機能は、それがコミュニケーションの場を提供するという点にある。この仕事の世界があるために、互いに近づこうとする二つの意識の働きかけが効力を発揮することができる。こうした中心的な場を持たなければ、一貫した世界の保障は一つの文化のなかに見出せなくなる。したがって人は、これまで、個人的な自由の一部を犠牲にしても、コミュニケーションの確保のために必要な最低限の場は残してきた[山口 2000:158-159]。

 異和感を愛そう、理解しようと努めることが「世間」に対する抵抗です。山口さんはそのための手立てを、コミュニケーションに見出します。

 重要なのは、山口さんの関心がコミュニケーションの成立か不成立かにあるのではなく、コミュニケーションそのものに向いているという点です。そしてコミュニケーションそのものとは、「この世界」を「他者と共有する」[山口 2000:159]ためのものとしてあります。

 実際に異和感を愛せるのか、理解できるのか、ということと、異和感を愛そう、理解しようとすることは同じでなくてもいいのです。愛せなくても、愛そうとしたこと、理解できなくても、理解しようとしたことこそが「この世界」を「他者と共有する」[山口 2000:159]ということであり、「世間」に対する抵抗たりうるのです。

 これについて、バトラーは次のように述べています。

 もし私が自分自身を説明しようとするなら、それはつねに誰かに対してであり、私の言葉を何らかの仕方で受け止めてくれると私が想定している人に対してである。――たとえ私はどのように受け止められるかを知らず、また知ることができないとしても。実際、受け止める側と位置付けられる者は、まったく受け止めていないかもしれず、いかなる状況でも「受け止めること」とは呼ばれないような何かに関わっているのかもしれないのであり、私はありうべき受け止めへの関係が分節されるような場、立場、構造的位置を作る以外のことはしていない。というのも問題は、ありうべき受け止めへの関係が生じる場が存在する、ということだからだ。ありうべき受け止めに対して、この関係は多くの形を取る。すなわち、誰もこれを聞き取ることはできない、この人はきっとこれを理解してくれるだろう、私はここで拒絶されるだろう、そこでは誤解されるだろう、裁かれるだろう、退けられるだろう、受け止められるだろう、あるいは抱き止められるだろう、といった具合に[バトラー 2008:123-124]。

 このバトラーの言葉は、「わたし」についてのものです。これまでのことを整理しながらいいかえれば、愛されなかった「わたし」は、愛されていたかもしれない「わたし」であり、理解されていたかもしれない「わたし」である、ということです。そしてそれは、「ありうべき受け止めへの関係が生じる場」[バトラー 2008:123]から生まれた「わたし」です。バトラーはそうした事実を、「過去が過去でないという生きた証明」[バトラー 2008:124]であると述べています。

 愛されなかった経験、理解されなかった経験を排除の経験として捉えるのではなく、たしかにあのとき「わたし」は愛されようとしていたのかもしれない、理解されようとしていたのかもしれないという「生きた証明」[バトラー 2008:124]として捉えなおそうとすること、それが「世間」に対する抵抗です。それは愛することそのものを強いる「規範化された愛情」[岡原 2012]とは違います。

 愛されなかった「わたし」、理解されなかった「わたし」が成熟した大人たちのシニシズム[ベラルティ 2010:239]に陥らないために、わたしたちはもう一度、「世間」とコミュニケーションをとる必要に迫られています。

 

・参照文献

岡原正幸

 2012 「制度化された愛情――脱家族とは」『生の技法[第3版]――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』pp.119-157、生活書院。

バトラー、ジュディス

 2008 『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』佐藤嘉幸・清水和子訳、月曜社

ホロウェイ、ジョン

 2011 『革命――資本主義に亀裂をいれる』高祖岩三郎・篠原雅武訳、河出書房新社

メルヴィル、ハーマン

 2015 『バートルビー/漂流舟』牧野有通訳、光文社。

山北輝祐

 2014 「野宿者の日常的包摂は可能か」『社会的包摂/排除の人類学――開発・難民・福祉』pp.200-215、昭和堂

山口昌男

 2000 『文化と両義性』岩波書店

 2007 『いじめの記号論岩波書店

柏森進

 2007 『片道きゃっちぼーる』ランティス

Sting

 2012 『ベスト・オブ・25イヤーズ』USMジャパン。