世間の「当たり前」が「わたし」を傷つけ、更生させようとするとき、「わたし」自身がその傷を「生きた証明」[バトラー 2008:124]として捉えなおそうと抵抗すること、それが自立の倫理を自分でつくるということです。傷つくことそのものに価値がある、と…
自立の倫理を自分でつくる(2-2)では、異和感がまとまることによって「世間」に亀裂[ホロウェイ 2011]をいれ、そこがたとえ一時的なものであったとしても異和感にとっての居場所になりうる、ということを述べました。異和感とは、一方的に排除されるだ…
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