言葉になっていないこと:現代民俗を捉える言葉、そのメモ
0.日常の当たり前
これといったテーマを持たないまま、学生の頃から民俗学とはつかずはなれず、中途半端な距離感で向き合ってきたのだが、ここ数年のあいだにアウトプットの機会に恵まれたこともあり、改めて、面白いかも、と思うようになった。
とはいっても、民俗学の重要な要素であるフィールドワークは大の苦手で、それはこれからもきっと変わらないと思われるため、本やテーマに沿った資料を通して、学びを深めていくことになるだろう。
ここで民俗学について説明しようとしてみても自信が無いのだが、文字による記録からではなく、人々の暮らしの中の語り口から生活の微細でダイナミックな様子を捉える学問、だろうか。なので、民俗学という言葉に埋め込まれたイメージには、昔話やお祭り、地域に伝わる年中行事がある。どれも、目でみたり、耳できいたりはするけど、形のないものばかりだ。なので、民俗学のフィールドワークは、知りたいと思うものを観察することや話をききに行くことが重要視されてきた。
さらに最近の動向としては、昔からあるもの、以外にも、今を生きる私たちの当たり前を問い直す学問だと言われることもある。辻本侑生さんは、パートナーと手を繋いで外を歩くということについて、それが異性なのか同性なのかで当たり前にできるかどうかが大きく揺れる、と指摘している。
「手をつなぐ」という事柄自体は、きわめて日常的な、意識化されないような事象である。しかし、「手をつないで歩く」ことが、特権的になりうる場合と、そうでない場合があるということは、クィアな視点を導入しないと見えてこない。[辻本 2025:179]
パートナーと手をつないで歩くことが困難な状況が現にありうるということは、同時にそれ自体がある「当たり前」によって隠蔽・抑圧されてしまっているということである。自分の人生一つとってみても、これまで目でみたり、耳できいてきた経験は所与のものであり、ほんとうはみえていなかったことがどれだけあるだろう、と思わされる。こうした指摘に触れると、歩いていてふと目に入る街中の雑踏からも、なにか大切な示唆を受けることがあるかもしれない。それを教えてくれるのが民俗学、とくに今回のエントリーで触れる現代民俗学だ、とここでは考えてみることにする。
1.「言葉になっていないこと」の民俗学
あ、なんか書けるかも、と思ったのは、年末年始にぺらぺらめくっていた何冊かの本に書かれていたことがなんとなくつながってきたからなのだが、一番のきっかけは昨日(25/2/1)読んでいた本に次のように書いてあったのをみたからだ。
取り立てて日ごろから話すことはなくとも、きっかけさえあれば淀みなく語ることができる「食物語」が、これまでどれほど語られずに蓄積されてきたのだろう。それは膨大な数にのぼるのではないだろうか。いわば「歴史化」されてこなかった「日常の事ごと」の世界である。[湯澤 2019:17]
唐突だが、この記述は湯澤規子さんの『7袋のポテトチップス:食べるを語る、胃袋の戦後史』(晶文社)より引用した。今ちょうど読み始めたところで、序章まで読んでいる。
湯澤さんは、著書『胃袋の近代』の反響のなかに、読者が自身の食に関する思い出を語りたくなってしまった、というものが少なからずあったことを序章で告白する。湯澤さんはそれぞれの読者が戦後から高度経済成長期に経験した食に関わる記憶とその語りから着想を得て、歴史の中で言葉にされてこなかった多くのこうした話を「食物語」と呼んでいる。
先に引用した辻本さんの言葉と直接結びつけてしまうのは乱暴だが、しかし現代民俗学はこうした言葉にできないことと取り立てて言葉にしてこなかったことのあいだを行き来しながら、まだ言葉になっていないものにアプローチをかけようとしているのではないか、と最近ふと思ったのだ[i]。
つまり、世の中がひっくり返るような新発見ではなく、知ることで自らを深く省察することを可能にしたり、社会的なつながりを丁寧にみつめていくことを可能にするようなことについて、考えてみることができるんじゃないか。とはいっても、今はこんなふうに思いついたことをつらつらメモにするぐらい。学問にはほど遠い。
そんな、身近なのによく知らない(あるいは、語り手にとっては言葉にするのをためらってきていたり、わざわざ語るなんてことを考えもしなかったような事実の数々)民俗について、もう二冊触れてみたい。
2.文学者たちの情報源(メディア)としての現代民俗
柳田國男の次の記述は、むかし貼った付箋を読み返していたらみつけたものだが、これも柳田にとっての当時の現代民俗ということになるだろうか。
田山[ii]は私の犯罪調査の話ばかりでなく、私が旅行から帰ってくると、何か珍しい話はないかといって聞くことが多かった。私が客観的に見て話してやったのを彼が書いたものの中には、特赦の話以外にも多少注目に値するものもあった。不思議なことには、文学者というものは、われわれの話すことを大変珍しがるものである。想像もできないとかいって感心する。いわゆる「事実は小説よりも奇なり」というわけだろう。それにこちらもいくらか彼等にかぶれて、西洋の写実派の小説などを読んでいるために、そんな例までくらべて話してやるものだから、一時は大変なものであった。そしてとうとう、あすこへ行きさえすればたねがあるというようなことになった。[柳田 2016:203]
一種のメディアとしての現代民俗というか、自分は当時の文学者にとって貴重な情報源だったのだと、柳田は書いている。
本来、日常の身近な出来事について言及しているはずの民俗学が、柳田の同時代人の文学者たちにとっては貴重な情報源だったことを考えると、このちぐはぐさは興味深い。
3.レヴィ=ストロースと現代民俗
去年の12月、なんかクリスマスっぽい読書がしたいなあと思って買ったのがクロード・レヴィ=ストロースの『火あぶりにされたサンタクロース』(角川書店)だ。
フォークロアをなんらかの残存物として説明するやり方は、いつの場合も不十分だ。習俗は、理由もなく消えたり、生き残ったりしない。習俗が生き残り続けているとすれば、歴史の進みの淀みとしてではなく、むしろ機能の永続性のなかにこそ、真実の理由をみいだすことができるだろう。その機能の永続性は、現代の私たちが、分析によってあきらかにすることができる。[レヴィ=ストロース 2016:43-44]
「理由もなく」という言葉になんだか惹かれてしまった。なぜ今もある/ないのか、という問い自体、現代性に支えられているからだ。
そんなになにか明確な主張ができたわけではなかったけど、現代民俗という言葉を取り扱うときに、どういう語り口があるんだろうと思い、年末年始にめくった本に色々書いてあった気がするな、まずはちょっと並べてみるか、という意図のエントリーでした。
参照文献
レヴィ=ストロース、クロード 2016 『火あぶりにされたサンタクロース』中沢新一訳、角川書店。
辻本侑生 2025 「『当たり前』の『日常』から差別・排除を捉える方法:現象学の複数の動向を導きに」『差別の現代民俗学:日常の中の分断と排除』「差別・排除の民俗学」研究会編著、明石書店。
湯澤規子 2019 『7袋のポテトチップス:食べるを語る、胃袋の戦後史』晶文社。
[i] どう言葉にしていいかわからないものとして「生きづらさ」を捉え、それと向き合う営みが生きることに埋め込まれている、ということについて、拙論「素朴なる民の民俗学へ」では考えています。『差別の現代民俗学』という本に載っています。
ハイタッチくらいはできるだろ:ネグリとハートの『帝国』をめくりながら
0.わたしは本を読むのが遅いが、本をたくさん買ってしまう
学生の頃、手が届かなかった本を衝動的に買っている。
真剣に読むこともないのだが、家の本棚に分厚い本とか並んでるとなんかすげーよな、と思いながら、でかめの本屋さんとかに行って、ほいほいかごに入れてしまう。学生の時は大学の図書館に好きな時に出入りできて、あれいま思うとめっちゃよかったな、と思う。
穴の開いた靴下とか、ゴムが土星の輪っかくらい伸びてしまったボクサーパンツよりも、本にお金を使ってしまう。いいじゃん別に。誰にもみられなくてもいいのが下着なんだから。
そんで、通読はちょっと今はムズイな、というときに、わたしはぱらぱらっとめくってピタッと止めたページを読んで、気になった箇所に付箋を貼る、みたいなことを時々する。普段はそもそも読書らしい読書ができていない。めっちゃゆっくり。この本を読むぞと決めても、週に2、3回開いて、見開き1ページ読むかどうか。ノリノリになったら20ページくらい読む。そのぐらいの読書ペースだ(今そんな感じで読んでるのは、チェ・テソプさんの『韓国、男子』みすず書房、湯沢規子さんの『7袋のポテトチップス』昌文社)。
1.一か所だけ付箋を貼っていたが、何が書いてあったかな
去年の秋?くらいに、ネグリとハートの『帝国』(以文社)を買ったのだった。めっちゃ読まれていた時期から何年たったのかわからないが、それでも家の本棚にあったらかっこいいとずっと思っていたので、本屋さんで新品を買ったのだ。
わたしは、心の奥では孤独を抱えながら、でも、だるかろうが求めていようが本来わたしたちにとって「つながり」は不可避では、ということについてずっと考えている。ネグリとハートの『帝国』は、そういうのを考える上で、大先輩なのだ。
で、買ったものの、分厚いからちょっと読むのは大変なので、まずはいっせーのでめくったところで一か所付箋を貼ろうと思って貼ったのが、次の個所だ。
人やものの往来に限定された空間は、生の空間へと変容されねばならない。流通は自由へと生成せねばならない。(…)いま局所的なものが称賛されているが、その際、流通や混合に対し、国家、民族性、人種、人民=民衆などの壁を強化するようなことがあればそれは退行であり、ファシズム的とすらいえる。だが局所的なものを取り囲む壁を粉砕するとすれば(またそれによって、この概念を人種、宗教、民族性、国家、人民から切り離すとすれば)、局所的なものを普遍的なものに直接結びつけることができるだろう。[ネグリ,ハート 2003:453]
この付箋貼った箇所の見開きを読んでいて、あ、これもあったなって思ったので引用します。講談社文芸文庫の、『柄谷行人中上健次全対話』より。
例えば、ぼくが誰かと意見が違うとき、それは相対性だと言うのは、気にくわないんだ。何もこっちが絶対だとは思わないけれど、そもそも「差異」が出てくるのは、もっとギリギリまでやってからのことだろう。ぼくも君もないよ、とことんまで問いつめればね。どうしようもない差異があり、むしろ、それがぼくや君なんだ。[柄谷 2011:41-42]
「むしろ、それがぼくや君」に到達すること、いちいち相手との違いを引き合いに出して目の前のやりとりを終わらせるのではなく、飲み込めないことがあっても、ハイタッチくらいはできるだろ、できないのだったら、それはなんでだろうって問いにつなげていくこと、そうした真剣さを持つのって、大事じゃないのって、思います。
参照文献
ネグリ、アントニオ,ハート、マイケル 2003『帝国:グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』水島一憲他訳、以文社
柄谷行人,中上健次 2011『柄谷行人中上健次全対話』講談社
今ちょっとずつ読んでる本
テソプ、チェ 2024『韓国、男子:その困難さの感情史』小山内園子・すんみ訳、みすず書房
湯沢規子 2019『七袋のポテトチップス:食べるを語る、胃袋の戦後史』昌文社
本棚にはある:もう読んだ本と、まだ読んでない本の縫い目としての言葉たち
0.自慢の本棚にはまだ開いたこともない本がたくさん並んでいる
最後のエントリーが8月だった! ほんとうはもっとこまめに更新したいのに。そして、これなら文章にできるかな、したいな、というものもいくつかある。でも書かなかった。
なんかいろいろ考えすぎなんじゃないかと思った。わたしは人文書が好きなんだけど、「これいいな」と思った言説について、垂直的な知識が希薄なのだ。ほとんどない。ブランショの引用はするけどバタイユもナンシーも読んだことないのだ。あとカントも読んだことない。本棚には数冊あるが。
けれど、それで何かを引用することを別にためらわなくたっていいのではないのか。「これいいな」、「なんでいいなって思ったんだろう」、いったんこれでいいのではないのか。そうした読書経験を恥ずかしげもなく文章にしてみること、ここでは「これこれ」についての厳密さについて責任をもたず、ただ「彼ら」の文章と「わたし」の文章をしっかりと分けて言葉にすることにのみ責任を持つ。それは悪ではないと信じて。
1.理論がわたしたちをなんかいー感じにしてくれることはない
最近、ふとしたきっかけがあって、カール・マルクスの「フォイエルバッハにかんするテーゼ」をぺらぺらとめくっていた。フォイエルバッハというのはドイツの哲学者で、当然、わたしはまだ読んでいない。本棚にはある。
マルクスはその中で次のように書いている。
社会的生活は本質的に実践的である。理論〔考えめぐらされたもの〕を神秘主義に誘い込むあらゆる神秘は、その合理的解決を、人間の実践とこの実践を理解することのうちにみいだす。[マルクス 1998:107]
わたしは学生の時から関わっている公民館のサークル活動をとても大切に感じていて、気が付いたら12年経っていた。フツーにシューショクすること(学生ではなくなること)を理由に離れることもできたのかもしれないが、わたしはまずフツーにシューショクできなかった。気が付いたら、ここに関わり続けるためにどうやって生活していこうかな、と考えるようになった。それ以上でも以下でもないのだが。
活動していて思うのは、活動そのものが楽しいわけでは別にないんだな、ということ。なんかいろいろ大変なのである。けれど、みんなといると冷えてこわばった自分の心がゆっくりと弛緩して熱を帯びるのを感じることがある。楽しいってことだ。これって「実践と実践を理解することの中」の出来事じゃないか? いろいろ考えて悩んでも、理屈そのものがわたしたちの生活をなんかいー感じにしてくれるわけではなく、結局は実際に向き合ってみるしかないことがたくさんあり、それはなんかもうしんどいのだが、結局は楽しい。そういう考え方を基本にするってとっても重要ではないのか。そして、こうした「社会的生活」は労働の外側で営まれる(飛躍があるが、今これを書いている自分にはどうしようもないので、さしあたり、やらなければいけないことでもなく、やってもお金にならないから、といっておく)。ましてやおうちでもない。それが自分にとっては公民館だったということだ。
2.読んだ本には付箋がびっしりあり、読んでない本には付箋がない
本に線を書いたり、書き込みをするのがほんとうに嫌で、代わりに付箋を貼るようにしている。「これいいな」と思った箇所にだ。なので、読んだことある本には付箋がびっしりあって、まだ読んでない本には付箋がない。それがわたしの本棚だ。
なんか元気出た、この言葉を通して、なにかを克服できるかもしれない、わたしにとって読書はそういう体験だ。このブログを始めた時も、自分を元気づけるために、自分で文章を書いてみよう、と思っていた。
そうやって引用を繰り返していくと、自分にとって耳の痛いはずの言葉が、いつしか自分の味方のように思えることがある。これは時間がかかるんだけど、「これいいな」、「なんかいいな」とは思ったというわけで、「なんでいいなって思ったんだろう」というのが自分にとっての新しい問いになる。これを繰り返していくと付箋が増える。大量の積読もいよいよ、ついになんとかなるかもしれない。
そんなわけで、ほんとうはもっとまめに更新したい。そのためにエントリーのハードルを自分の中で下げてみよう、ゆるくやろう、そのための一歩で、こんな記事を書きました。
・参照文献
エンゲルス、フリードリヒ
・参考文献
入山頌
2025 「コーヒーの香る共生:喫茶コーナー「わいがや」の実践と意義」『月刊社会教育』(827):pp.54-55
「ともに学ぶ」ってなんだろう:都市の喧騒と静謐
0. 「ともに学ぶ」ってなんだろう
巡り合わせがあり、「ともに」という言葉について考えることが多いのですが、特に最近は、「ともに学ぶ」ってなんだろう、と頭をひねっています。
この言葉、社会教育に関わっていると頻繁に出会います。口にするときは誰もが、自分の経験や人から受けた影響に根差して、かみしめながら話しているように思います(「社会教育」という言葉の説明自体、わたしは十分にできないのですが、図書館や博物館、公民館など、公的機関によって保障されている学校教育以外の学習機会、でしょうか。市民による自主的な学びをなによりも尊重する、官民相互による営み、という認識です)。
ですので、「ともに学ぶ」というのはその方がいいのでそうしましょうというスローガンでもなんでもなく、現にわたしたちはともに学んでおり、それが決定的に大事なことだ、という前提のようなものでしょう。学ぶとき、すでにわたしたちはともにある、ということです。それはある歴史について知ろうとする態度だったり、ある生活上の課題を分かち合うことであったり、制度によってすみ分けられてしまう人同士の貴重な活動の積み重ねであったりします。
1.「ひとり」と「みんな」
ここまで書いてみて、けれどもお互いにすみ分けながら、個人で学ぶこともわたしたちはできてしまいます。「ともに」あること自体、相容れないものと絶えず格闘していかざるを得ませんし(とっても疲弊しますし)、例えば仕事終わりや休みの日に公民館に行ってサークル仲間と顔を合わせることの他にも、わたしたちは街でお金を払うだけで無数の快適なサービスを受けることができます。
そんなふうに、「ひとり」でいることと「みんな」でいることを操作できてしまうのが、わたしたちが生きる都市空間です。現象学的地理学者のイーフー・トゥアンは、「みんな」を自然、「ひとり」を不自然だ、とします。
夏の夕暮れ時に家の前のポーチでおしゃべりしている幸せそうな人間の一団は、通りがかりの者にとって、さざ波のように満ちたり引いたりしている明るい音の集まりであり、まわりがぼやけた、暗くて見分けのつかない姿の集まりである。音がまわりを包んでいる。議論をしている時でさえ、声は一緒になっている。論争をする者同士は、レスリングのようにくんずほぐれつの闘いをしているのだ。集団性のもつこのようなイメージと対照的なのが、書き物をしている人や図書館の片隅で静かに読書をしている人の孤独なイメージである。話をすることは普遍的であり、人間にとって自然である。それと対照的に、書くということは特定の文化に限られており、孤独と静けさの中で行われるため、また死を連想させるため、不自然なことである。[トゥアン 2018:219]
トゥアンが「ひとり」を不自然だ、と述べたのは、それがけしからんというわけではなく、自然な状態からの離脱を指すからでしょう。「みんな」でいることからの離脱、それは次のようなことをもたらします。
さらに、書くことは、反省を必要とする。理想的な演説のように、そして溢れるばかりのおしゃべりの連続と言えるかもしれない人生そのもののように、意見をすらすら能弁に述べるのとは異なり、書き物をしている人は、事実や意見を削除したり修正したり、区別したり放棄したり、一貫したパターンや論理的な筋道や矛盾のない見方にあてはめたりするために、しばしば間を置く可能性があり、また実際にそうなのである。[トゥアン 2018:210]
熱気立つ部屋を出てから布団に横になるまでのあの時間、逃げ出したくなるような重い沈黙から離れて部屋でテレビをつけるまでのあの時間、「しまった」と自分の発言を後悔してから電車の中で吊革につかまるまでのあの時間、つまりわたしたちは、この都市空間の中で努力をしながらつねに「ひとり」と「みんな」のあいだを行き来しています。「みんな」とおなじくらい、「ひとり」であることも重要だということ、都市空間はそれを可能にする、ということです。
2.都市の「音」
結局、「ともに学ぶ」ことの重要さについては何も書けず、「ひとり」と「みんな」の間を行ったり来たりするときに何が起きているのか、についてだらだらと書いてしまいました。けれども、「ともに学ぶ」際には、「ひとり」と「みんな」どっちも大事だ、ということは、なんとなくわかったような気がします。
さて、さっきから引用しているトゥアンはこの1~3ページの間に、「みんな」でいることと「音」を密接に結びつけています。このトゥアンの記述が終わりに向かうにつれ、音読に話題が及びます。つまり、「みんな」で「読む」という「音」について、次のように述べています。
読むことは書くことと異なり、公共の場で行われることがあった。教養あるローマ人は、宴会の際に本を読ませたのである。そのうえ、古代の人々は声を出して読むのが習慣だった。(…)われわれは黙読を当たり前と考えている。しかしアウグスティヌスはアンブロシウスが無言で読んでいるのを見てびっくりしたのである。(…)現代社会では、読むことは比べるものがないほど私的な行為として広く受け入れられている。黙読している時、印刷されたページは一人のものであり、ほかの人のものではないのである。(…)しかし混雑した列車内では、乗客は遠慮しながら正当な持ち主の肩越しに『タイムズ』を見るのだ。われわれのテーマがここでも繰り返されているようである。音は、語り手の声のように人々を統合し、視覚は、黙読のように人々を孤立化させるのである。[トゥアン 2018:220-221]
「音」(集団の比喩であり、きこえていなくてもいいものです)はわたしたちを「みんな」のところへ呼び戻してくれます。街中の、喧騒と静謐の絶え間ない移動のなかにわたしたちの暮らしがあり、「ともに」を考えるためのヒントがあるのかもしれません。
あんまりうまくまとまらなかったな、すみません。
・参照文献
トゥアン、イーフー 2018 『個人空間の誕生』阿部一訳、筑摩書房。
結局何を書きたかったのか:このブログの2017年から2025年まで
0.この8年と目の前にあるもの
5年ぶりの更新です。
就活もせずに修士課程を過ごし、大学院の博士課程に落ち、実家暮らしで、週に2~3日アルバイトをしながら、なんにもやりたいことが見つけられないとき、できるだけゆっくりと歩いてきたわたしの前に、「自立」という言葉がとうとう現れました。これ以上進むことも、もちろん逃げることもできず、時間だけが過ぎていくなかで、いま立ち止まって考えていることを、まずは言葉にしてみよう、どうせそれしかできないし、とはじめたのがこのブログでした。
実際にはそこから1年も経たないうちに仕事は決まり、さらにその2年後には実家を出て一人暮らしをはじめるのですが、当初はそんなこと、予想もしてなかったです。
ぼんやりとした気持ちではじめ、しかも更新していたのは最初の2~3年だけだったのですが、それでもコツコツと読んでいたり考えていたり書いていたりしていたことが、つい最近まとまった文章として形にする機会に恵まれました。こんなことももちろん、夢にもみなかったことです。
ブログを通して考えていたことが形になるまで、気づくと8年経っていました。わたしのような小さい人間には、やはりそれなりの道のりでしたし、いろんなことがありました。とはいえ、ものを書く仕事をもらえることはまだまだ自分には得がたいことであり、「仕事来ねえかなあ」とぼんやりするくらいなら、またブログを再開してみようかな(読むこと、考えること、書くことを習慣づけよう)、と思ったのです。
そしてその前に、この8年を振り返る記事を書いてみよう、そこからまたはじめてみよう、と思ったのです。
このブログはそのときにそれなりに真剣に考えていることと、そのときに読んでいる本とを結びつける読書ブログです。
読む人にとって面白い記事かはわかりませんが、読んでもらえたらうれしいなと思います。
1.生きづらさを言葉にする
このブログを通してわたしがやりたかったこと、それは自分の言葉を持つことと、そして家族から自由になることでした。
高校3年生の秋、ある夜過呼吸になり、家の玄関、駅のホーム、学校の階段を前にすると、呼吸が浅くなり、頭が真っ白になって、歯がかみ合わずガタガタして、パニックになるようになりました。自分を奮い立たせるために?あるいは、自分のみじめさを知らしめたくて、右腕を何度も何度も傷つけるようになりました。限界がきたんだな、と思いました。
ある朝、家に届いた新聞の折り込みチラシの裏に、赤い色の鉛筆で、「絶対に幸せになってやる」と書き置いて学校に行きました。家に帰ると、「あれはあなたが書いたのか?」とぎょろぎょろと目を動かしながらあの人はわたしにそう尋ねました。息ができないくらいの動悸にたえながら、わたしはゆっくりと階段をのぼって、わたしのために与えられたこども部屋にはいり、音を立ててドアを閉めました。
このブログを始めたとき、わたしは目の前にある「自立」という言葉にたじろぎながら、この建物と人間関係に、四半世紀も依存していることを、はじめてしっかりと自覚をしたのだと思います。まずいじゃないか、やばいじゃないか、過呼吸になって、それでもまだここにいるつもりなのか、なんかいい感じになると思っているのか、そんなわけないじゃないか。
けれども、わたしは、家を出るために経済的に自立することよりも、まずは自分の言葉を持つことの方を優先しました。なんだかなあ。
したがって、振り返ってみるとこのブログのざっくり前半部分は、「自己決定」・「世間」・「親子」にまつわる本について読み、自分の感じたことを書いていました。そしてあるとき、自分なりに満足したのか、別のことについて考え始めたようです。
2.多様性の中の一人であるということ
あの建物と人間関係に、あんなに苦しみながらも依存していた自分にとって、家父長制をどう相対化するかを考えるのは(家族の外に出て、外から家族をみて、家族について考えること)、とても重要な事でした。そうして、山口昌男さんの本を読むようになります。
山口さんは、「違和感」ではなく、「異和感」という言葉を使います。「違和感」は、自分が周りの環境や相手に対して感じるもので、「自分はフツーで、周りがなんか変」という認識を前提にしますが、「異和感」はそうではなくて、自分の内面にも深く入り込んでくるものです。自分が周囲にうまく馴染むことができなかったり、相手に嫌な反応をされたり、「よりよい方」へと無理やり手を引っ張られていくような経験・雰囲気・そういう感じ、です。
うまくいっている、調和している、不具合が無い、機嫌がいい、充実している、こうした言葉が無数にあるということは、この言葉の下にはもっと複雑ななにかがうごめいているのではないか(調和によって蓋をされている複雑で混沌としたものがある)、と、山口さんの本を読みながら考えるようになりました。調和を是とするあの建物と人間関係において、自分がうまくいっていないその「なにか」であること、そのことが急にとても大切なことなのではないか、そんな気がしてきたのです。これがざっくりこのブログの、これまでの後半部分になります。そしてそのあと2年ほどブランクがあり、2020年に一本記事を書きました。
3.しんどい方が、きっと豊かだ
周りはうまくいっていて、自分は違う、という認識は、「違和感」を前提にしています。山口さんの言葉を借りれば、望ましい状態(和)とそうじゃない状態(違)がきれいに対に、反対言葉になっているからです[山口 2000:v-vi]。
「異和感」はそうではなくて、「そうじゃない状態」の領域の中の話をするための言葉です。「そうじゃない状態」は、複雑で、すんなり理解することが難しくて、人それぞれで、無視した方が楽で、忘れた方が楽で、間違っていると指弾しやすく(されやすく)、つらいことの方が多いし(必ず、ほんの少しの幸福がある)、ない方がいいのかもしれないのに、とにかく豊か、つまり、わたしたちが想像するよりもはるかに多くのことがうごめいているのです。*1
「そうじゃない状態」の世界はとっても過酷です。でも、多くの、無数の言葉によってずっと支えられてきました。そのことの意味を、少しずつ考え始めたのが、2020年だったのではないかと思います。
4.今目の前にあるもの
ざっとあのときの2~3年間を思い出してみました。あのころや、そのもっと前を思い出すと、ずいぶん遠いところまでこれたのだな、と思います。
結局何を書きたかったんだろう。しんどいことは課題でも問題でも無くて、生身の自分がほんとうに弱いことを自覚するということであり、そっちをみて、ゆっくりとそっちへ歩いていったところに今の自分があるんだろうなあということなのかもしれないです。いま目の前にはほんとうに数えきれないくらいのものがあります。わたしもその中の一つです。
・参照文献
2000 『文化と両義性』岩波書店。
わたしがわたしであることについて(1-2)――わたしから他人へ
傷つくかもしれないが、愛されるかもしれない。これをジュディス・バトラーは「ありうべき受け止めへの関係が生じる場」の分節であるとします[バトラー 2008:213-214]。愛しかない場も、傷しかない場も、その前提にあるのは規範です。愛すべき人を傷つけてはならない、憎むべき人を愛してはならない。世間はそのような規範によって支えられ、その内に死を招き入れます。このブログでは、バートルビーの死や[ドゥルーズ 2002]、赤軍の親の死[柄谷 2003]から、そのことを確認してきました。人と人に、ただ一つの関わり方しかありえないとき、愛による支配と暴力による支配に違いはありません。シモーヌ・ヴェイユの言葉を借りれば、それは世間による「社会的抑圧」[ヴェイユ 2005]です。
ただしヴェイユは、愛による支配*1は人と人が関わり合う私的生活の領域で均衡が崩れた結果起こるもので、社会的抑圧とは別のものであり、外的な妨害を受けることなく均衡を取り戻すことができると主張しています。けれどもそうすると、なぜ雇用主であるはずの代訴人がバートルビーと関わるなかで良心に支配されてしまったのか、その末になぜ代訴人がバートルビーを事務所から追い出そうとするに至ったのかを説明することができません。代訴人はバートルビーと関わる中でつねに周りのことを気にしていたのであり、雇用主であるにもかかわらず私的生活の領域において均衡を取り戻そうとする一方で(代訴人は「友人」としてバートルビーと関わろうとしていました)、妨害も受けていたからです[メルヴィル 2015]。問題なのは、いまわたしたちが生きている世界では私的生活の領域さえも妨害をつねに受けてしまうということなのです*2。そこで重要なのが、バトラーのいう「ありうべき受け止めへの関係が生じる場」の分節です。バトラーは、自分がどのように受け止められるかということよりも、自分が受け止められる場が存在することの方が重要だと主張しています[バトラー 2008:213-214]。自分が拒絶されるのか、誤解されるのか、抱き止められるのか、それはわからないが、しかし人と関わるとはそういうことではないか、というのです。
前のエントリーでは、それは確かにその通りだけれど、傷つかないですむならその方がいいのではないか、ということについて、大江健三郎の短編小説「セブンティーン」[大江 1968]から考えました。17歳の誕生日を迎える主人公の少年は、家庭にも学校にも居場所がなく、自涜によって孤独を紛らわせています*3。セブンティーンは、自分に居場所が無いのは、自分が「奇怪で矛盾だらけで支離滅裂で複雑で猥雑ではみだしている」[大江 1968:214]からだと思い込み、ある偏った思想に傾倒していきます。その思想に忠誠を誓うことで自分の複雑さから解き放たれたセブンティーンは、やがて暴力に支配されていきます。
関わり方が分節できないこと、つまり、傷つくことを恐れ、愛のみを求めることや、複雑であるがゆえに傷ついてしまう自分を否定してしまうことが、世間による抑圧を支えています。大切なのは、セブンティーンが否定してしまった自分の複雑さです。この複雑さこそが、関わり方を分節することができるのです。
たとえばロラン・バルトは、失恋によって負った傷を人に伝えようとします。
自らこの身を罰するとしよう。われとわが肉体を痛めつけよう。髪をおもい切り短く刈る。黒い眼鏡で視線を隠す(僧院に入るのと同じだ)。地味で抽象的な学問研究に没頭する。僧侶のように早く起き出し、暗いうちから仕事をしよう。精一杯辛抱強く、いささかもの悲し気に、要は苦悩の人に似つかわしい気高さを持とう。(…)苦行(わが身に苦行を課そうとする衝動)は、他者に向けられている。(…)わたしは相手の眼前に、わたし自身の消失というフィギュールをつきつけているのである。もしも譲歩してくれなければ必ず起こることとして(しかし、いったい何を譲れというのか)。[バルト 1980:52-53]
バルトは、自分の負った傷が相手に伝わらないことを知っていますが、自分を傷つけずにはいられません。相手にしてみれば、髪を刈ることはどうでもよく、「いったい何を譲れというのか」と感じざるを得ないということを、バルトは知っているのです。ただ、伝わらないと知りながらも、相手に伝えようとしなければ、関わり方を分節することはできません。
伝わらないことを知りつつ伝えようとすることのおもしろさは、最終的には伝わらなくても、それ自体を肯定できるところにあります。
ときとしてわたしも、いろいろと理屈をならべたてたり、計算をしたりする。それは、なんらかの満足を得るためであったり、急に不機嫌な顔をしてみせることで、このわたしが相手のためにどれほどの努力(譲歩する、隠す、傷つけない、楽しませる、納得させる、など)をむなしく浪費していることか、ひそかにわからせようとするためであったりする。しかしながら、こうした計算は、いずれも、要は焦燥のあらわれなのであって、最後には儲けてやろうなどという想いはみじんもない。[バルト 1980:129]
バルトはここで、関わり合いのなかで、実は相手を傷つけないようにしていた、ということを告白します。けれども、その努力にかかわらず、相手は傷ついていたかもしれませんし、一緒にいても楽しくなかったかもしれません。「儲けてやろうという想いはみじんもない」努力、それがバルトの告白を支えています。
バトラーは、自分がどのように受け止められるかということよりも、自分が受け止められる場が存在することの方が重要だとしました。そうした場を、バルトの日記に見出すことができます。
できごと自体はいたってささやかなものであり、ただただその巨大な反響を通じてのみそこにあるのだ。それはわたしの反響の日記(わたしの傷心の、わたしのよろこびの、わたしの解釈の、わたしの理屈の、わたしの気紛れの日記)なのだ。そこになにかを理解してくれる者がいるだろうか。「他人」だけがわたしについての小説を書くことができるだろう。[バルト 1980:140-141]
分節の先に、「他人」は突然現れます。だからこそ、「書かれることであまりの陳腐さがあらわになるようなことを」[バルト 1980:140]伝えなければいけないし、伝えてしまうのだと思います。
・参照文献
1968 『性的人間』新潮社。
2003 『倫理21』平凡社。
栗原康
2015 『はたらかないで、たらふくたべたい――生の負債からの解放宣言』タバブックス。
ドゥルーズ、ジル
2002 『批評と臨床』守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社。
2005 『自由と社会的抑圧』冨原眞弓訳、岩波書房。
バトラー、ジュディス
2008 『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』佐藤嘉幸・清水和子訳、月曜者。
バルト、ロラン
メルヴィル、ハーマン
わたしがわたしであることについて(1-1)――セブンティーンが言葉にできなかった世界
世間の「当たり前」が「わたし」を傷つけ、更生させようとするとき、「わたし」自身がその傷を「生きた証明」[バトラー 2008:124]として捉えなおそうと抵抗すること、それが自立の倫理を自分でつくるということです。傷つくことそのものに価値がある、といいたいわけではありません。傷つくかもしれない未来に怯えないために、傷ついてしまった過去を肯定する必要があるのではないか、ということです。
けれども、それは簡単なことではないでしょう。異和感が「世間」の攻撃の的[柄谷 2003]であると同時に亀裂[ホロウェイ 2011]を入れるものでもある、ということに気が付くことはできても、どうして「わたし」が傷つかなければいけなかったのか、ということへの答えにはならないからです。「わたし」が傷つかないなら、異和感は尊重するべきではない、できるかぎり「当たり前」を受け入れる方がいい、という傷に対する怯えにどう応えるか、というのが、今回のエントリーの目的です。
まず、「わたし」の身に起きた過去と向き合うかどうかが重要です。もちろん、「わたし」の身に起きた過去と向き合わずに生きていくこともできるからです。
これについて、たとえば偽名を使って『T.A.Z.――一時的自律ゾーン』[ベイ 1997]という本を書いた思想家のハキム・ベイは、次のように自分のことについて書いています。
わたしの立場はこうだ。つまり、わたしは行為を妨げるような「知性」を警戒して止まないのである。わたし自身は知性に溢れている。時にはしかしながら、わたしはどうにかして、あたかも自分の人生を変えようと試みるほど愚かであるかのように振る舞ってきた。時折、宗教やマリファナ、カオス、少年たちとの愛といった危険な麻薬を用いたこともある。ある程度成功を収めたことも少しはある。――わたしはこのことを自慢するためではなく、むしろ証言するために述べているのだ[ベイ 1997:154]。
「行為を妨げるような『知性』」[ベイ 1997:154]を、ここでは思想家のポール・ヴィリリオが「理性」と呼んだものと重ねてみようと思います[ヴィリリオ 2001]。ヴィリリオは、騎兵が馬に乗って思い通りに動かそうとすることは、馬にとって理性の憑依であるといっています[ヴィリリオ 2001:135]。つまり騎兵は、馬が野生にもどること(自己表現すること)を妨げるために騎乗するのです[ヴィリリオ 2001:133]。
「自立の倫理を自分でつくる(2-2)」で確認したように、「世間」はその在り様を保つために「わたし」が「わたし」であろうとすること(自己表現をすること)を抑えつけようとします。つまり、どうして「わたし」が傷つかなければならなかったのか、それは「わたし」が「わたし」であろうとした結果なのです。それは「わたし」の野生によるものであり、理由のあるものではありません。理由を説明することができない、しなくてもいい代わりに、どうして「わたし」が「わたし」であろうとしたのか、その過去と向き合うことが大切になってきます。
このとき、ベイが自分の行いを自慢ではなくて証言だといっているように、宗教やマリファナは理性(騎兵)を振り落とすための手段だったのであって、目的ではなかったことに注意が必要でしょう[ベイ 1997:154]。ベイが過去の自分の愚かさを認めたうえでそれを証言すること、それが「行為を妨げるような『知性』」[ベイ 1997:154]に対する警戒のためだったことは、「生きた証明」[バトラー 2008:124]のひとつのあり方といえるのではないでしょうか。
それではそれに対して、傷つきながら、それでも「わたし」が「わたし」であることと向き合えないとは、どういうことでしょうか。
ここでは、作家の大江健三郎さんが書いた「セブンティーン」[大江 1968]を参考にしたいと思います。
「セブンティーン」は、17歳の誕生日を迎えた一人の少年が主人公です。彼は過剰な自意識から自由になれず、常に孤独を感じています。彼自身の、周りから一人取り残され、一切の参加をあきらめたような感覚が、次の一文に表れています。
おれは現実の世界を少しでも変えたりすることのできない男だ、やれない男だ、インポテのセブンティーンだ、おれがやることのできることといったら他人どもの目から逃れて自涜するだけだ。そしてこの世界の全体を造り変えたり補強したりするのはみんな他人どもだ、おれが物置の船室に閉じこもってあれをやっているあいだに、他人どもがこの世界をいじくりまわし、《さあ、これで良し!》というのだ[大江 1968:173]。
この孤独について考える時に重要なのは、セブンティーンが常に意識している「他人ども」も「この世界」も、具体的なものではないということです。自分の身の回りを具体的に捉えることができないことこそ、彼の感じている孤独の正体です。これについて、思想家のモーリス・ブランショによる次の言葉が参考になります。
存在者は、おのれ自身で満ち足りてはいないが、だからといって、ひとつの欠けることなき実質を形づくるために他の存在者と結びつこうとするのではない。不充足の意識は存在者が自分自身を疑問に付すことから生じる。そしてこの付疑が果たされるために他者が、あるいはもう一人の存在者が必要なのである。(…)あるいはこう言ってもいいだろう、存在者は単独であるが、自分が単独であることを知るのは、彼が単独ではないその限りにおいてである[ブランショ 1997:18]。
ということは、セブンティーンは孤独ではなかったからこそ、孤独を感じていた、ということになります。彼は、身近な人に自分自身のことについて何も告白できずにいたのです。
また、ブランショは次のようにも書いています。
この意味でもまた、最も個人的なものは、一人の人間に固有な秘密としてとっておかれることはなかった。それは個人の限界を破って分かち合われることを要請していた、というよりむしろ、分かち合いそのものとしておのれを宣明していたからである。この分かち合いはそのまま共同体へと反転するが、それによって共同体の中にさらされ、そこで理論化され、定義づけの可能な真理あるいは対象となることもある――そしてそれが分かち合いというものの危うさでもある[ブランショ 1997:48]。
つまり、誰かとともにあるなかで、「わたし」が「わたし」であるためには「わたし」自身(秘密)を告白する場(共同体)が不可欠であり、同時にそれは「わたし」自身(秘密)が誰かによって無作為に説明されてしまう危険を伴っているということです。
セブンティーンの場合、彼は自分の兄について次のようにいっています。
兄が変わってから、おれは家でまったくの独りぼっちだ、独りぼっちのセブンティーンだ。おれは十七歳でみんなから理解されながら、成長し変化していくべき時期にいるのだが、だれひとり、おれを理解しようとするものはいないのだ、おれはまったくピンチになのに……[大江 1968:162]
けれどもブランショがいっていることからわかるように、秘密を告白することなく「わたし」が誰かから理解されることはありません。にもかかわらず、セブンティーンは自分の秘密を告白することなく、誰かに解き明かしてもらえるのを待っているようにも思えます。
ああ、簡単に確実に、情熱をこめてつかむことのできる手を、この世界がおれにさしだしてくれたなら![大江 1968:168]
「生きた証明」[バトラー 2008:124]は誤解を含んだコミュニケーションによってなされます。「わたし」が「わたし」であることは、たとえ誤解されようとも「わたし」自身が言葉にしなくてはいけないのです。それは、「わたし」の側からこの世界に対して手を伸ばす、ということです。対して、セブンティーンは物語の最後に、この世界の側からさしだされた手と出会います。彼はそれをつかみ、次のようにいいます。
おれが不安におびえ死を恐れ、この現実世界が把握できなくて無力感にとらえられていたのは、おれに私心があったからなのだ。私心のあるおれは、自分を奇怪で矛盾だらけで支離滅裂で複雑で猥雑ではみだしていると感じ不安でたまらなかった。なにかをするたびに、これはまちがったほうを選んでしまったのではないかと疑い、不安で不安でたまらなかった。(…)私心を捨てた人間の幸福が忠なのだ![大江 1968:214-215]
彼は自分自身に異和感があることに気づいていながら、それを私心として理解して捨てることによって幸せを手に入れます。対して、「奇怪で矛盾だらけで支離滅裂で複雑で猥雑ではみだしている」[大江 1968:214]ことを受け止め、身近な人たちに告白し、分かち合うこと、それが「わたし」が「わたし」であるという「生きた証明」[バトラー 2008:124]です。
セブンティーンは忠、つまりなにかに従うことによって手にすることができる幸せに酔います。「わたし」が「わたし」であることとは、セブンティーンが言葉にできなかった世界のことです。
このブログでは、なにかに従うことの幸せよりも、なにかを分かち合うことの幸せについて考えたいと思います。従うことは「わたし」じゃなくてもいいけれど、分かち合うのは「わたし」でなければいけないからです。
・参照文献
ヴィリリオ、ポール
2001 『速度と政治――地政学から時政学へ』市田良彦訳、平凡社。
1968 『性的人間』新潮社。
2003 『倫理21』平凡社。
バトラー、ジュディス
2008 『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』佐藤嘉幸・清水知子訳、月曜社。
ブランショ、モーリス
ベイ、ハキム
1997 『T.A.Z.――一時的自律ゾーン』箕輪裕訳、インパクト出版会。
ホロウェイ、ジョン
2011 『革命――資本主義に亀裂をいれる』高祖岩三郎・篠原雅武訳、河出書房新社。
2000 『文化と両義性』岩波書店。